参考→就職 続・就職 続続・就職

09/18

■年末調整

 誰もが名前を知っている大企業の片隅にちょっと聞き慣れない部署がある。
 今時信じられないような高待遇。研修制度は勿論のこと、福利厚生も充実。定年はかなり早いけどその後もしっかり面倒を見てくれる。そしてたとえ忙しくてもやりがいがある。
 営業や総務と肩を並べる立派な社会人のお仕事だ。でも業務内容を話しても誰も信じてくれない。俺はそんな仕事に就いている。それなりに楽しいしそれなりに誇りを持っている。
 ただし職務経歴書にはおおよそ現実離れした言葉を書く羽目にはなる。
 俺は様々な世界の小事から大事まで何でも救ってあげちゃう勇者課に配属されている。だから俺の職業は勇者見習い。今年の春入社したばかりでついこの前まで新人研修を受けていた若葉マークだ。
 王道RPGの主人公みたいなことをしていても、会社から給料貰って働いている。勇者課という特殊な部署にいても結局俺たちはサラリーマンであるわけで。
 12月は恐ろしいほど忙しい。年末調整というやつで、どこの部署もみんな冬休みを貰うために必死になる。休日出勤残業も当たり前。終電で帰るような毎日だ。
 勇者課だって例外ではない。休み返上で剣を振るい、異世界を救う。無我夢中で働いて、気付けばこの一月で五つもの世界を危機から救っていた。
「疲れた……」
 ぐったりと応接ソファに身体を沈める。一気に飲み干したコーヒーのカップをテーブルに置く余力もない。軽い音を立てて床に落ちる。
 向かいの大きなソファは小林先輩が占拠していびきかいている。パーティーリーダーにして攻撃の要。この人は大剣を軽々と操り幾数もの悪を屠ってきた。その動きたるやまだまだ素人である俺でも惚れ惚れしてしまう。天賦の剣の才でもあるのだろうか。こっちの世界ではまったく不要な才能なんだけれど。
 今日の仕事は一国の王の暗殺だった。王と言えば人間。俺達が人間を殺したのかと言えばそうではない。どっかのゲームにもあった話だけど、王は悪魔が化けた偽者だ。本物を救い出して偽者を倒すという重大な任務だった。
 詳しい話は端折る。経過はともあれ任務は成功した。これが今年最後の仕事だったから半分自棄になっていたかもしれない。石岡先輩なんて火炎放射器まで持ち出していた始末。そこまでやるか、とこっそり思ったけど絶対言わない。目の下のくまが先輩の顔を不気味に演出していて、口ごたえしたらこっちまで燃やされそうだった。
 その石岡先輩はさっさと退社した。どうやら学会が来年頭にあるとかで準備に忙しいらしい。本業は研究者。縁があって人手不足の勇者課にアルバイトとして来ている。社員並の待遇を受けているアルバイトなんて先輩くらいだろう。
「おつかれさま」
 そう言ったのは杉野さん。俺より一年先輩で、弓を得意とする後方支援専門の人。いつの間にやら顔を洗ってしっかりメイクを直している。すっきりとした身なりはどう見てもOLそのもの。毎日戦いを繰り広げている人間には見えない。
「おつかれさんです」
 唸るような声で返す。杉野さんは眉をひそめた笑顔という困ったような呆れたような複雑な表情で俺を見下ろしていた。
「疲れてるところ悪いんだけど、いいかな?」
「悪いです」
「そう言わないで」
 と、天井に向いている俺の顔に一冊の雑誌を載せた。
「次の仕事の資料よ。年明け一発目の大仕事。長期間のプロジェクトになるかもしれないから目を通しておいて」
 顔の上の薄い冊子を取る。表紙には中東アジアあたりにありそうな街並みの写真が使われ、その上にゴシックフォントで『ISEKAI Walker』とあった。
「何ですか、これ」
「異世界ウォーカー」
「えーと、東京ウォーカーのパクりですか?」
 違う違う、と杉野さんは首を振る。
「ちゃんとした雑誌よ。私達みたいな仕事をしている人達のためのガイドブックなの。その号は次に行く所を特集しているの」
「……質問があります」
 俺は力なく手を挙げる。俺が落としたプラスチックカップを拾いながら杉野さんはどうぞと促がす。
「『私達みたいな仕事』ってことは勇者課は他の企業にもあるってことですか?」
「あるわよ。知らなかったの?」
 そして彼女の口からいくつもの企業名が出てくる。いずれも海外でも名の知れた一流企業ばかりだった。
「俺達だけじゃないんですか」
「そうよ。言わば大企業の福祉事業だもの。内部の人間しか知らないけど、あって当たり前なのよ」
 そうか、当たり前なのか。雑誌があるのに一般の人が知らないってのも変な話だけど。俺も就職活動中にスカウトされる前は存在すら知らなかった。
「あと、これも」
 ポンと膝の上に一本の巻物が置かれた。まさしくマンガで忍者がくわえているような巻物だ。
「このスクロール年明けまでに覚えておいてね。魔法理論がびっちり書きこまれてるけど、全部覚えれば使えるようになるから」
「何ですって?」
 聞き直す。
「魔法使えるようにしておいてね」
 にっこりと柔らかな笑みでさらりと恐ろしいことを言った。この俺に魔法を使えと言った。
「俺、戦士ですよ。肉体労働が基本なのに魔法だなんて、とんでもない!」
 巻物を杉野さんの手に押しやってお断りする。羊皮紙のような手触りの巻物はかなり古い物なのか、繊維がぽろぽろとこぼれてくる。
「そもそも、そういう頭使うのは石岡先輩が専門じゃないですか」
「それがね」巻物をまた俺の膝に置く。「石岡先輩は本職が忙しいでしょ? 魔法覚える余裕なんてないって言うのよ」
「だからって、俺じゃなくてもいいじゃないですか。杉野さんやってくださいよ」
「まあまあ。研修の一環だと思って……あ、こんな時間またね」
 非常にわざとらしく時計を見、非常にわざとらしい態度で杉野さんは帰っていった。

戻る