就職
毎日毎日太陽は容赦なく地球に照りつける。天気予報では当たり前のように三十五度前後の気温が報じられ、外に出した洗濯物は一、二時間もしないうちに乾いてしまう。
ロクに雨も降らないものだから道路脇の雑草も力なく、猫も日陰でのびている。
こんな暑い日に大学になんて行ってられるか、と俺は俺で家に閉じこもっていた。エアコンがブーンと低い音で唸っている。室外機は朝からフル回転で熱気を吐き出していた。
あー、暑い暑い。
こんな日は水風呂に限る。
水風呂に浸かってソーダアイスを食べていると、暑さも忘れるってもんだ。
「幸せー」
顔がゆるみ、思わずそう口走る。浴槽の縁に足を載せ、小さな窓から猛烈な暑さであるだろう外を見る。雲一つない青空が見えた。
「石岡ぁー、いるかー?」
バターン、と勢い良くドアが開いた。続いて、どたどたと勝手に上がってくる音が聞こえる。
俺は慌てて開けっぱなしだった風呂のドアを閉める。こんな姿、人に見せられたもんじゃない。
「誰だよ!」
俺の家はいつも鍵がかかっていない。それは自分も悪いと思うが、普通、いきなりドアを開けるやつもいないだろう。ノックくらいしろよ。
あっさりと風呂のドアまで開けられた。問答無用とは、こういうことを言うのか。開けたそこでは、にやにやと、同級生の小林が笑っている。
「こんなところにいたのか。だらけたやつだなぁ」
「うっさいな。俺は暑さに弱いの。どっかのバカみたいに強くないの」
ソーダアイスをかじりかじり、俺はどっかのバカ、もとい小林に反論する。すでに溶けかかっているアイスは口の中であっというまに液体と化した。
「野郎の入浴シーンなんて、嬉しくない」
「俺も嬉しくないわ! 何しに来たんだよ。場合によっちゃ、追い出すぞ」
「あー、そうそう」小林は思い出したように、手を叩いた。「内定取れたんだよ」
「嘘」
俺、即答。
「嘘じゃねぇよ!」
俺は進学予定だからいいとして、小林は他の大半の同級生と同様、就職活動中だった。五十社近く受けてもことごとく落ち、つい先週、就職浪人決定飲み会をしたばかりだった。毎年ギリギリの評価と単位で進級していれば無理もない。当然本人も諦めかけており、キノコ農家をやってる実家に帰る覚悟もできていた。
おかげでここしばらくの口癖は、「俺、日本一のキノコ農家になるよ」
それが、今頃になって内定が取れた。半ば信じがたく、採用したのはどこの酔狂な会社だろう、と聞いてみた。
更に信じられないことに、誰でも知っているような大企業の名前が出た。俺のテレビを作っているような会社だった。
「嘘」
俺、即答。
「だから、嘘なんて言ってねぇよ!」
「何でお前なんかが内定取れるんだよ。そんな大企業入って何するんだ? 掃除か? 雑用か?」
からかい気味に聞いてみる。警備員っていうのもありだな、と頭の隅で考えていた。
「聞いて驚くなよ」ふっふっふ、と小林は笑う。そして急に真剣な顔になった。「勇者だ」
「……お前、頭わいてんの?」
驚くよりも笑うよりもまず、呆れた。大企業の名前が出て、仕事は勇者。大した仕事だ。ふざけているとしか思えない。勇者と言えば、ファンタジー小説やらゲームの中にいるもんだ。それに、正義の味方と相場が決まっている。遅刻無断欠席カンニング常習犯の小林の柄じゃない。
それに、ここは日本だ。地球上でも有数の平和な資本主義国家。そりゃ小さな事件は頻発しているだろうけど、勇者サマが直々に倒すような巨悪は存在しない。全く、荒唐無稽な話だ。
「証拠ならあるぞ」
ほら、と小林は俺の目の前に一枚の紙を広げた。その紙には充分に余白を取ってから「内定通知」と書かれていた。少し間を置いて、例の大企業の名前と社長の名前が連なる。
そこには確かに「勇者として採用します」というようなことが書いてあった。
「雇用条件がすっごくいいんだ。フレックスタイム制だし、残業、出張、休日出勤手当はしっかり出る。保険もきちんとしてる。仕事柄、終身雇用とまではいかないけど、現役を退いた後の生活保証もしてくれるんだ。昇給制度もボーナスもあるし、最高だよ」
「……どんな仕事なんだよ」
「だから勇者だってば。異世界に派遣されてその世界の危機を救うんだ」
さもそれが当然であるかのように、小林はさらりと答えた。
思わず、俺はアイスの棒を浴槽の中に落とす。それは、世間一般の常識じゃない。
勇者としては当然かもしれないけど、もっと現実を見ろよ、そんな職業が成立するわけがなかろう。
「本気か?」
「本気だ」
「そんな小説みたいな話、信用できん。寝言は寝て言え」
俺が追い払うように手を振ると、小林は舌打ちし、
「頭固いやつだなぁ」
「俺は現実的なの」
食べ終わったソーダアイスの棒をくわえながら俺は言う。体温ですっかり風呂の水も温まり、入る前に濡らした髪も乾いてしまった。
また水を足せばいいんだけど、これ以上浸かっていられなかった。もう二時間も浸かっていたから身体がふやけているみたいだ。
そろそろあがるから、と小林を部屋の中へ追いやる。小林は勝手知ったる他人の部屋、で断りもなく冷凍庫の中のアイスを食べ始めた。そして、これから就職する会社が作ったテレビをつける。昔の刑事ドラマを再放送しているらしい。ややこもった音がスピーカーから流れる。
俺が服を着ていると小林が、「そこの会社、バイトも募集しているんだよ」と言った。
ぎくりとして小林の方を見る。嫌な予感がした。
奴はニヤニヤと笑いながら、アイスをかじった。
「石岡のこと、紹介しといた」
数週間後。
小林と共に異世界に放り込まれた俺がいた。