参考→普通の人 朝日

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■108

 人間のボンノウは108個あるという。こたつでミカンの皮を剥きながら高志はそう言った。
「本当にそんなにあんの?」
「ま、仏教の話だからきっちり講釈垂れればやたら小難しいんだけどな。簡単に言えば人間はいっぱいボンノウがあるから修行で全部消せっつーこと」
 俺宗教嫌いだけど。
 一言付け加えて高志はミカンの筋を取る。
「筋には栄養あるんだから食えよ」
「嫌いなんだよ。ほっとけ」
「その筋が嫌いってのもボンノウ?」
「かもな。いちいち数えるのも面倒だけど、そういう細かいのまで入れれば絶対108じゃ足りないはずだよな」
「特に高志はね」
「悪かったな」
 きれいに剥いたミカンを半分に割り、口の中に入れる。
「どうせ煩悩欲望垂れ流しで生きてるよ」
 テレビがどこかの寺の鐘撞堂を映している。寒空の下、人が並び自分の番を待っている。スピーカーから流れる厳かな鐘の音。
 こたつの上に置かれたノートパソコンは鐘を表示している。クリックすれば鐘の音が流れる仕組みになっている。安物のスピーカーから響く妙に高い音が気にくわなくてボリュームはミュートにしてあった。
「今何回目だ?」
 高志が僕の手元を覗く。
「57回。ねえ、もうやめない? 指つりそう」
「きっちり108回撞くって言ったのはお前だろ? このくそ寒いのに外に出ないだけマシと思え」
「ねえ、実験体でも人間って言うの? 人間じゃないならボンノウなんてないよね」
「正規のルートから産まれていなくても人間だと主張したのはどこのどいつだこの野郎。今更前言撤回すんのか。俺はそんな風に育てた覚えはない。自分の発言に責任を持て」
「こんな時だけ父親面すんな、バカ高志」
 悪口雑言の応酬。カチカチとマウスをクリックする音が虚しい。
「そもそも典型的日本の正月を迎えてみたいって言ったのは僕じゃないって。このサイト見つけたのも僕じゃないもん」
 見つけた当の本人はキッチンで鼻歌混じりに年越し蕎麦を作っている。気合の入りようは並ではなく、蕎麦の出汁をきっちり鶏がらからとっていた。冷蔵庫には一日かけて作ったおせち料理が入っているはずだ。
「あいつはこだわるからなぁ」
 半ば諦めた口調で高志がこぼした。
「餅をつくって言い出さなかっただけマシだよ」
 63回目のクリック。これだけやった僕も僕だけど、もうやりたくない。だるい。
「お蕎麦できたよー」
 そんな声が聞こえてきたのは日付が変わる10分前だった。

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