第4話
気まずい空気が流れている。向かい合う二人の間にあるのは友情でも愛情でもましてや憎悪でもなく、戸惑いだけだった。リオはどうしていいかわからず、とりあえず手にした剣を振ってみた。行動に意味がなさすぎることに気付き、ひとり赤面する。
距離をおいて対峙する青年もひとまず弓を引き絞ってはいるが、矢ね穂先を地に向けて無遠慮にリオを頭から爪先までまじまじと凝視していた。
「弟だって聞いていたんだけど」
「うるせー馬鹿! 死ね!」
自分でも驚くくらいかわいい声が口汚く罵る。青年は困ったと言わんばかりに頭をかいて、
「お兄さんに似てるね」
「あんなのと一緒にすんな!」
反射的に言葉が口をついて出た。叫んだら不意に風が吹き、慌てて膝丈スカートを押さえる。ひらひらしてどうにも動きにくいことこの上ない。母親がドレスを嫌い続けていた理由がなんとなくわかった。
やたらとフリルのついた純白エプロンも、パフスリーブの紺色ブラウスも、同じ色のフレアスカートも、間違ってもリオの趣味ではない。急に服が必要になり、たまたま入った店で勧められるままに買ったのだ。どこかおかしいと思った時には後の祭り。仲間にも知り合いの少年にも笑われ、だが他に着る物もなく、リオはこのひらひらした服のままでいた。もっとも、笑った少年にも同じような服を押し付けたのだが。
「かわいいのにもったいない」
「俺は女じゃねぇ!」
剣の先に熱が集まる。リオはそれを目視ではなく肌で感じていた。
「女でなければ何だろう。そういう趣味の人?」
「俺は男だ!」
一瞬で高まった熱を一息に放つ。突然二人の間に火球が現れ、まっすぐ青年へと飛んでいく。大きく見開かれた目に赤橙の光が映る。弓を向ける暇も与えずに炎は目前で大きく広がり、青年を飲み込んだ。
リオは立て続けに三個、火球を放つ。そして球を追って距離を詰め、一閃。渦巻く炎を切り裂く。
「かわいい顔して随分と乱暴だね」
呆れ声が溜息とともに吐き出される。立ち込めた煙が引いたそこに、平然と青年が立っている。リオが袈裟掛けに振り下ろした剣は、頭まであと数センチというところで宙に浮いていた。押してもそれ以上は進まない。見えない壁に阻まれている。
「魔法を使うとは思わなかったけど、生憎と僕も魔法使いなんでね」
剣を阻んでいた何かが割れた。薄片を散らし、地に落ちる前に消える。青年の手がリオの手首をつかみ、ねじるように引き下ろす。
「海藍!」
冷気がリオの肌を撫でた。咄嗟に青年の手を振り払い、横に飛びながら再び剣を降る。太刀筋が炎の帯となった。が、青年がそちらを睨んだだけで炎が消失した。
「蒼凪壱哉、だっけか。かなり妙な魔法を使うんだな」
リオは壱哉の背後に目をやった。かなり目を懲らさないと見えないが、うっすらと人型のものが揺れている。
「どこの国の魔術師かは知らないけど、俺を女呼ばわりしたこと、きっちり土下座して謝ってもらうからな!」
「どこをどう見ても女の子なんだけど」
「うるせぇ!」
剣の柄を両手で強く握り、短い呪言を唱えながら振った。すんでのところで避けた壱哉の毛先が散った。今度は炎を出す魔法ではない。腕に力がみなぎってくる。そのまま返す剣で斬り上げた。今度は壱哉も避けきれず、手にした和弓で押さえ込む。ただの弓と思っていたら大間違いらしい。容易に折れてしまいそうなほどに弓身は細いが、刃先を一分も食いこませないあたり、素材なり術なりで何らかの強化を施してあるようだ。
剣を寝かせて滑らせ、弓を払う。がらりと空いた懐に柄から離した左手をあてがい、力持つ言葉を紡ぎ上げる。傍目にはリオが壱哉の腹に手を添えたようにしか見えなかったが、壱哉は膝を折った。暗い力が生まれ、解き放たれたのだ。地に両膝をつき、苦悶の表情を浮かべて腹を押さえる。対してそれを見下ろすリオの瞳は冷く、一片の同情すらない。静かな怒りが心の内に燃えている。剣を振り上げて呼び出したのは炎塊の群れだ。鬼火のようにリオの周りを幾つも漂っている。
「怨むなら見る目がない自分を怨むんだな」
炎塊はひとつひとつが巨大で、頭一つくらいならば簡単に飲み込んでしまいそうだ。
「貴様の行く先は深淵の彼方だ」
リオは飛び退きながら剣を振り下ろした。炎が一斉に壱哉に襲い掛かる。絶え間無く起こる爆発、そして煙が青年の姿を覆い隠す。リオはありったけの力を使って高温の炎を呼び、そこに叩き込み続けた。空気が熱せられて温度が上がる。魔法を使うたびに体から体力とか活力とか、それに近いものが失われていっている。搾り取られると言ってもいい。相当数打ち込んだところで柄を持つ手が震えてきた。じっとりと汗が滲む。息が荒くなる。そこで打ち止めだった。足から力が抜け、剣を支えにしてリオは膝をついた。肩を激しく上下させながら俯いて息をつく。
やりすぎたかと一抹の後悔が心をよぎった。怒りで我を忘れていたとは言え、あれだけの火球を浴びせれば後に残っているのは炭の塊だけだ。面識がないただの人間相手にここまでするのは大人げなかった。息を整えながらもうもうと立ち込める煙が引くのを待つ。もしかしたら跡形すら残っていないかもしれない、と頭の片隅で思った。
「まったく、君のような過激な子はお兄さんには刺激が強すぎるよ」
リオは目を見張る。壱哉はけろりとした顔で煙の中に立っていた。リオのあの猛攻はなんだったのかと言いたくなる。見たところ傷らしい傷もなく、ただ服の裾が少しだけ焦げていた。
硝子が割れて崩れ落ちる音が聞こえた。壱哉が張った障壁が壊れた音だった。
熱を帯びた空気が急激に冷えていく。壱哉の周囲を三人の透明な女性が舞っていた。さっきよりもはっきり見える。普通の人間よりも一回り小さく、長い髪と長い衣を揺らしながら宙を泳いでいる。
「剣を操り、かつ連続して魔法を行使できる戦士ね。今まで何人かそんな人に出会ってきたけど、ここまでの力を持つ人間はいなかったよ。まともに受けたらさすがに僕も危なかった。もしかしたら君には才能があるのかもしれないね。だけどたった一つ、残念なことがある」
壱哉が弓を引き絞る。その腕に女性の姿をしたものが絡み付く。リオはそれをただ眺めていることしかできなかった。もう指先一つ動かない。
「君にはスタミナがなさすぎる」
三人の乙女に祝福された矢が主の勝利を歌った。