第3話

 手紙を読みながらハルトは顔の高さまで腕を上げた。袖の下は肘から手首にかけ、鋼の腕甲で覆われている。それが硬い音を立てて何かを弾いた。足元を見れば棒に近いくらい細長いナイフが二本、地面に突き立っている。
「人の家に入る時にはまず挨拶しなさい」
 開けっ放しの勝手口に鋭い声を投げかける。二撃目に備えて守りに構え、入口正面に向き直る。
「ふむ、それなりにはできるようじゃな」
 ひょっこりと少女が姿を現した。手も隠れるほどの長衣に身を包み、年の頃は十五くらいか。ハルトの息子よりも幼い顔に、唇を吊り上げたまったく子供らしくない黒い笑みを浮かべていた。
「どちらさまかな。不審な人間は我が家には上げられないよ」
「そう気色ばむな。身内じゃ」
「身内?」
 訝しむハルトに頷きかけ、
「わしはレキ。ディーン・フェイリム・フォールゥンが娘、レキ・ファランシア・フォールゥン。お主の嫁の七代前の当主じゃ」
 と、かきあげた白金の髪の間から銀の耳飾りがのぞいて揺れた。あまりにも見慣れたデザインにハルトは息を飲む。それはかつて嫁の耳についていており、今は息子二人に片耳ずつ分けられているはずの物なのだから。
「ご先祖様か」
「お主らのことが気掛かりでな、化けて出てきたのじゃ」
 手を前に垂らしてうらめしやとふざけて見せる。血色のいい顔に大地を踏みしめる二本の足。どこをどう見ても生身の人間以外の何者でもない。ハルトの眉間のしわが深くなる。
 レキは笑ったまま、右の掌をハルトに向けた。
「どれ、お主がフォールゥン家の婿に相応しいかどうか見極めてやろう」
 光が弾けた。咄嗟に身を屈めて左前方へ跳んだ。右の二の腕を掠めて熱線とすれ違った。振り返るまでもなく、家族団欒の象徴である食卓が破壊された音が聞こえた。部屋が狭くてすぐに壁が迫る。壁を蹴って鋭角に反転、レキに躍りかかった――が、眼前で叩き込もうとした拳が止まる。
「どうした」
 意地の悪い笑顔を浮かべているが、その中には愛する嫁と息子の面影があった。それがハルトの拳を鈍らせる。
「甘いな」
 その一言にハルトは目を見張った。服の右袖が細かくズタズタに切り裂かれた。腕を覆う鋼の手甲が剥き出しになる。
「次は首を狙うぞ」
 手甲に、目を凝らさなければ視認できないほどごくごく細い糸が絡み付いていた。外から差し込む光を受けてきらりと輝く。レキが手首を捻ると糸は外れ、彼女の袖へと吸い込まれていく。
 ハルトはバックステップで家の中に戻る。すっかり粗大ゴミと化した元食卓を悲しげに見やりながらも、そのそばに横たわるモップの下に爪先を入れ、蹴り上げた。木柄を握り、先端を外す。
「あまり女性に手を上げたくはないんだが」
 ただの棒になったそれの長さと重さを確かめるように二、三度振り回し、先端をレキに向ける。
「いくら身内と言えど、我が家を壊すつもりならご退出願う!」
 一足で踏み込み、胴を突く。レキはどこから取り出したのか、両手に握った小型のナイフを胸の前で交差させて受けた。ハルトの掌にじわりとした鈍い痺れが走る。レキはそのまま戸外へと押し飛ばされた。だが彼女も素直に飛ばされてしまうようなタマではない。左手を地について支点とし、側転する。同時にハルトに向かってナイフが飛んできた。身を捻ったハルトの毛先をわずかに散らせて壁に突き立つ。
 重い手応えに違和感を覚え、ハルトは手にした棒を再び見た。長年愛用しているモップの柄は軽い木材でできている。どんなに速度をつけても、軽い素材で小柄な人間を突いてあの重さはありえない。
「何を隠している?」
 独り言にも聞こえる疑問の声に、少女はにたりとチェシャ猫のような笑みを浮かべる。持ち上げた両袖から覗いたのは手指ではない。手の代わりに、指の数じゃ足りないほどの鋭い刃先が飛び出していた。
「ただの魔法使いではないのじゃ。すまぬの」
 それが一斉に射出された。研ぎ澄まされた鋼がまっすぐにハルトを狙う。
 中心を持ってプロペラのように棒を回転させた。進路を妨げられた刃が地に墜ちる。しかし所詮はモップの柄。そして相手は魔法使いだ。叩き落としきれずに一際大きいナイフが中程に突き立った。気付いた時にはもうナイフはなくなっていた。小爆発を起こしたのである。
 驚いている暇はなかった。得物を失ったハルトの両腕に糸が絡みつく。生の腕ならまだしも、さすがに鋼の手甲を断ち切るだけの強さはないらしい。ピンと張った糸が二人を繋ぐ。迷わずハルトは糸を手繰り寄せた。レキは足を踏ん張るが、彼女も所詮小柄な少女にすぎない。鍛冶屋が本業の男に力で敵うはずもなく、あっさりと身体が宙に浮く。
 引き寄せた勢いで蹴り上げた。レキの身体が天井に叩きつけられる。手が自由にならないから防御もままならない。ここにきて始めてレキは小さく呻いた。
 素早く腰を落とし、弓でも絞るように腕を引いた。落ちてきた身体に今度こそ全体重を乗せた拳を叩き込む。勢いで千切れたのか自ら切り離したのか、いずれにせよぷつんと糸が途切れ、レキは再び戸外へ押し戻された。インパクトの手応え通りなら肋骨が折れているだろう。
「辛うじて及第というところかの」
 口の端から流れた血を舐めとりながらレキが起き上がった。
「防御魔法か」
 独り言のようにハルトが呟く。あれだけの衝撃を受ければそう簡単には立ち上がれないはずなのだ。何らかの魔法を使っていたとしか考えられない。
「お主ほどの歳ならば心得ておるだろうが、ひとつ教えてやろう。魔法使いと戦うなら喉を潰すのが先決じゃ」
 懐に手を差し入れる。どんな刃物がくるかと身構えたが、予想に反してレキが取り出したのは掌大の宝石だった。粗削りな石の中にほんのりと紫の光が宿っている。それを掲げ、異国の言葉で唄を紡ぐ。
 気付いた時にはもう遅かった。飛びかからんと駆け出したハルトの身体がずっしりと重くなる。雲が意識を覆い、まぶたが段々と下がってくる。
「魔法は意識を発露して初めて具現化する。発露に一番手軽な方法が詠唱じゃて、ほとんどの使い手が喉に頼っておる」
 石の中央に縦にひびが入る。魔力を放出しきってただの石ころと化していくのだ。閉じゆく視界に最後に見えたのがそれだった。戦いは本職じゃない、と言いたいのに、全身の力が抜けて崩れ落ちる。
「おやすみ坊や。よい夢を」

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