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■吸血鬼

 ふらりと入った居酒屋で、吸血鬼と名乗る男と出会った。
「だからさぁ、何で吸血鬼って血を吸うんだよぅ」
「吸血鬼だからだろ?」
「誰が決めたんだよぅ。俺、血なんか吸わないぜ?」
「じゃ、吸血鬼じゃないよな」
 お互い酔いも回りすっかり息投合した頃には、ヤツはこんな感じでずっとくだを巻いている。
 その自称吸血鬼、外見は俺たち人間と変わらない。耳が尖がっているわけでもなく、少し色白だけど病的なわけでもなく、歯並びは見事なもので犬歯が鋭いわけでもなし。というか、まったく普通のサラリーマン。居酒屋で適当な人間見つけて絡んでいる兄ちゃんにしか見えない。しかも、その適当な人間は今のところ、俺。
「ほら、にんにくだって平気で食うぜ〜?」
 と、自称吸血鬼はにんにくおろしで刺身を食らう。
「ステーキはレアよりもウェルダンだなー。血の滴るような、なんて生臭くて俺は好かん。そもそも、血が苦手なんだよなぁ。注射も嫌いだしさぁ。献血なんてもってのほか!」
 ふーん、と適当に相槌打って俺はポリポリともろきゅうをかじる。
「大体、血なんて誰が好んで飲むかっつーの。あんなもん、飲みもんじゃないって。生臭いし、錆臭いし。血は身体の中流れてなんぼってもんよ」
「それは正論だな。だけど、血を飲まないのは吸血鬼じゃないって」
「でも、俺、吸血鬼」
 自称吸血鬼は膨れっ面で自分の顔を指差した。口には串をくわえている。テーブルを見れば、俺の軟骨が一本減っていた。
「血を吸わない吸血鬼なんてただの鬼だ、鬼」
 お返し、とばかりにヤツの竜田揚げを一個奪ってやった。
「鬼っていうなよー。じゃ、殺人鬼は何だ? 奴等は鬼か?」
 殺人鬼は人間だけど。そもそも、鬼っていうのは怪物のことを指すわけで。
「俺はバケモンじゃないよ。ただ、普通の人よりちょーっと長生きでちょーっと色んなもんに化けられるだけだって」
 充分化物だと思う。
「何年生きてるんだよ」
「ふっふっふ。驚くなよぉ」
 自称吸血鬼は野菜スティックのセロリを振りながらにやにやと笑う。薄く開いた口からきれいな歯並びが見えた。
「八百年だよ、はっぴゃくねん。イイクニツクロウ鎌倉幕府の時代から生きてるんだな、これが」
「わあ、驚いた」
 ビールを飲みながら無感動に応えてやる。
「何だよぉ。少しくらい驚いてくれよぅ」
 俺の腕をつかんでグラグラ揺らす。身体が揺れて、頭も揺れる。視界が揺れて気持ち悪い。ただでさえまわっているアルコールが更にまわる。吐き気を覚えて慌ててトイレに駆け込んだ。
 戻ってくると、俺の分の料理と酒があらかたなくなっていた。自称吸血鬼は真っ赤な顔で中ジョッキをあおっている。「俺のは?」と聞くと、「さあね?」とすっとぼける。くやしくて、俺は俺で水割りを注文した。
「お前、八百年も生きてんだろ? 戸籍とかどうしてんのよ」
「戸籍は明治の時に作ったんだけど、この前の戦争で焼けちゃってさぁ。そん時に新しく作ったんだわ。戸籍上の年齢は七十よ、俺」
 それで働いているんかい。もらった名刺の肩書きはどっかの会社の営業だった。こいつの存在もアバウトならば、会社もアバウトだ。ちなみに、この前の戦争とは第二次世界大戦であるらしい。
「あー、でも、最近血圧高くてさぁ。やっぱ、酒と煙草が悪いんかな」
「吸血鬼でも血圧高くなるんだ」
「なるよ。食べるものは普通の人間と同じだからな。同族の中には透析が欠かせないヤツもいるさ」
「普通の病院に行って大丈夫なのか?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ちょーっと身体構造違うけど、ま、ほとんど普通の人間と同じ。学者によれば、俺らが長生きできるのは遺伝子が違うからだ、って。テロメアとかいうのが特殊なんだって」
 そして、そのテロメアとかいうものについて講義されたが、はっきり言って生物が嫌いだった俺にはさっぱりだった。そもそも、DNAの略称すら知らないのに理解しろっていうのが無理。酔っ払いの講義を理解しろというのも無理。
 わけのわからない講義が切り良く終わったところで、俺たちは店を出た。出る時にワリカンにするかどうかで揉めたのは言うまでもない。
「変身できるのは普通じゃないだろ」
 心地よい夜風を受けながら、二人並んで駅まで歩く。正確には俺が自称吸血鬼を抱えて歩いていた。千鳥足どころか、まともに立てていない。幸か不幸か、方向は一緒だった。
「そりゃなぁ、変身するのは普通じゃないよなぁ。でも、本当なんだぜー? 小説みたいにコウモリにもなれるし狼にもなれるぜー? 吸血鬼らしいだろぉ」
「じゃ、十字架とか杭とか銀の弾丸とか効くのか?」
「効かないよ〜。そんなの迷信だし、俺、仏教徒だもん。あ、でも、さすがに杭で打たれたら死ぬかなー。心臓にグサって刺すんだよなぁ。痛いのはイヤだなぁ〜」
 それは人間でも死にます。
 駅までそれほど距離はないはずなのに、やたらと長く感じる。それというのも、この自称吸血鬼が結構太っているからで。抱えている腕は俺より一回りくらい太い。だから高血圧なんだって。
「俺、帰るー」
 やっと駅が見えてきた頃、唐突にヤツが言い出した。
「はぁ? 寝ぼけてんのか? もう少しで駅だぞー」
「電車なんか使わねぇー。だって俺、吸血鬼だもん」
 俺の手を振り払い、ふらふらと電柱に寄りかかる。しかも、ぐるぐると無差別に腕を回し続ける。どう見ても不審者。何回も回したところで、腕がだらん、と両脇に垂れた。顔は呆けたように空を見上げている。
「何やってんの、お前」
 駅まで引きずって行こう、と俺はヤツを捕まえようとした。
 すると、突然身体中から白い煙が噴き出した。毛穴という毛穴からその煙が出ているらしく、あっという間にヤツの姿が見えなくなった。ドライアイスを水に入れたときみたいだ、と醒めかけた頭でそう思った。
 四方に散った白煙の跡から現われたのは、
「くるっくー」
 ハト、だった。それも、手品で使われるような白いハトじゃない。濃い灰色のヤマバトだった。
「あれ? あいつは?」
 きょろきょろと辺りを見まわす。白煙を遠巻きに見ていた人々がどこぞへ行ってしまうのは見える。しかし、その中に自称吸血鬼の姿はない。
「俺、帰るー」
 再び、ヤツの声がした。同時におぼつかない足取りでハトがとことこと歩き、羽ばたき、空へと舞い上がる。
 呆気に取られて見ていると、ハトは肉屋の屋根に向かって飛んでいく。飛んでいって、
「あうっ」
 と、その肉屋の屋根に当たって落ちた。
 俺は慌ててハトを拾う。少し太りぎみのハトはしばらくくちばしをパクパクと動かしていた。ううう、と鳥らしからぬ声でうめく。
「コウモリにしとけば良かった……」
 そうだよな、ハトは鳥目だもんな。
 普通の人よりちょっと長生きで変身できるという特技があっても、酔っ払えばただのバカ。
 ははは、と乾いた笑いしか出なかった。

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