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■Technophobia
彼女は電気機器が苦手だと言った。テレビもラジオもオーディオも冷蔵庫も洗濯機もましてや換気扇まで苦手だと言った。
実際彼女は身の回りに家電を置いていなかった。シックハウス症候群の患者と同じ施設で山の中で生活していた。
どうして苦手なのか聞いた事がある。
ファンの音が嫌いとか静電気が嫌いとかちかちかする人工の光が嫌いとか、挙句の果てには配線の中を走る電子の音が嫌いとまで言い切った。
私がこっそり携帯電話を持っていてもすぐに気が付いた。彼女は恐ろしく鼻が良い。携帯電話を持っている私のそばには決して近づかなかった。たとえ電源を切っていたとしても五メートルは距離を置く。
彼女は現代とは遠く離れていた。進んだ電子機器の恩恵にあずかれず、ひたすら機械を避けている。たとえそれがおもちゃの自動車だったとしても、害虫を見るような目つきで見た。
彼女が触れる機械は木の歯車で動く茶運び人形だけだった。小さなからくりに何杯もお茶を運ばせる事が唯一の楽しみだった。
そんなにからくり仕掛けが面白いのかと尋ねた事がある。
彼女は一言、「電波を出さないから」と答えた。
「電波ってイヤなものだわ。目の奥がちりちりするし首の後ろがかさかさ痒くなる」
部屋の隅に追いやられた私の携帯電話を憎々しげに見る。
室内は一見普通に見えた。寝台があり本棚があり鏡台がある。だけどすぐに違和感を感じるはずだ。薄暗い北向きの部屋であるにも関わらず電灯がない。明かりがなければ本を読みにくいだろうに、彼女は電灯ですら拒んでいる。
生活の一切を電気に頼らず文明社会から隔離されたここで静かに時を過ごす。聞けば簡単な労働と読書だけで一日が過ぎてしまうという。それは無為に時間を潰しているだけではないのだろうか。
「便利な世の中が幸せだと思っている人には本当の幸せはわからないわ」
柱時計が四回鳴った。彼女が家から持ってきた唯一のものだ。一日一回ゼンマイを巻く必要がある。ここの壁に掛けられてからすでに千九百回あまり巻かれているはずだった。