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■深夜のコンビニと彼女とヨーグルト
初めて彼女を見たのは仕事中のことだった。
深夜のコンビニでのアルバイト。都市部の店ならそこそこに客も来るのだろうけれど、僕が働いているこの店はいつも閑古鳥が鳴いていた。
僕が働いている時間帯に一人も客が来ない、ということもザラにある。ごくまれにトラックの運ちゃんがカップ麺を買ってお湯を入れていく。その程度のものだった。結局、国道沿いにあるということ以外には何の利便性もない。田舎の店なんてどこもこんなものだ。
いつものようにあくびをしながら一人で店番。レジの方が見える程度に奥の方に引っ込んで雑誌を読む。薄いスポーツ雑誌を読み返すのは二回目だった。今日二度目のセリエA特集は、もう知っていることばかり書いてある。
また店長に怒られるかな、とか頭の隅で考えながら半分だけまどろみに足を突っ込む。現実と夢の境界をたゆたうのはとても心地いい。今の仕事も明日の講義も全て忘れて、意識をふわふわと泳がせる。
そんな時にやってきて、彼女は僕を現実に引き戻した。淡いブルーのスウェットパーカーに細身のジーンズ。細いべっこう縁の眼鏡をかけていて、落ち着いた雰囲気をまとっている。落ち着いている、と言っても老けているというのとは違う。大人としての良識、判断力を備えた立派な女性に見えた。
あわててレジに戻り「いらっしゃいませ」とマニュアル通りに声を出した。
彼女は入口近くでファッション雑誌を手に取った。ついさっき梱包を解いたばかりの雑誌だった。たった二冊しか入っていない。そのうちの一冊を、じっくりと読むわけでもなく、軽く流し読んで雑誌を元に戻す。
そして足音を立てないで店内をぐるりと回り、僕の前で止まった。小さなカップと百円玉を一枚、五円玉を一枚置く。
彼女は小さなヨーグルトのカップを一つ買って店を出ていった。
それが何ヶ月も続いた。
毎週同じ曜日の同じ時間。僕は店番をしている。彼女は軽く立ち読みしてヨーグルトを買っていく。
読んでいる雑誌も同じ。買っていくヨーグルトも同じ。
ただ、毎週違っていたのは彼女がかけている眼鏡だけだった。
黒縁、銀縁、セルフレームと多種多様な眼鏡を彼女はかけ、なおかつ似合っていた。
僕は時計を見上げ、時間を確認する。二時五分前。そろそろ彼女が来る。そう考えればつまらない仕事も退屈しない。今日はどんな眼鏡をかけて来るのだろう。
いつの間にか、毎週彼女に会うことが楽しみになっていた。
*
仕事中以外で彼女を見たのは大学の講義室でだった。
講義開始の五分前。学生達で賑やかな階段教室を、席を探して歩く。今日から始まる講義で、先生の顔も知らない。前に座るべきか後ろに座るべきか迷いながら視線をさまよわせ、そして、彼女を見つけた。
真ん中のほうで友達らしき女性二人と話している。装いはいつもと違う。短いスカートに薄手のカットソー。僕が知っている彼女より、もっと華やかだった。少しハスキーな声によく変わる表情が何だか意外だった。落ち着いた雰囲気が明るさに置きかえられた。そんな感じだ。おしゃべりに興じる姿はいかにも大学生らしい。
だけど、その顔はよく知っている顔だ。細長い楕円のフレームはグレー、レンズは薄いワイン色が入っている。ここまで眼鏡が似合う女性は彼女だけだと思う。
僕は彼女の二つ前の列に座る事にした。
後ろに座って講義の合間に姿を盗み見るのもいい。それも考えた。彼女の日常生活は本人にとって当たり前でも、僕には当たり前のものじゃない。珍しいものであることには変わりないし、実際、見ていたい。
それをあえて我慢して前に座る。ただのコンビニ店員である僕を覚えているかもしれない。覚えてくれるかもしれない。とてもとても、消えそうなほどに淡い期待を抱く。
彼女たちの会話に耳を傾けながら席につく。バッグを隣の席に置き、とりあえず筆箱だけを出す。
*
「似合うよね」
「何が?」
「眼鏡」
「やめてよ、そんなこと言われても嬉しくないんだから」
「いいじゃない。似合わない人よかなんぼかマシだって」
「あのね、好きで眼鏡かけてるんじゃないの。コンタクトが合わないから眼鏡なの」
*
毎週ヨーグルトを買いに来る彼女は僕の楽しみだ。彼女は眼鏡が嫌いだけど、僕は嫌いじゃない。
彼女の瞳をレンズ越しに見ている。そのレンズも全くの透明であったり、色が入っていたりする。サングラスと言えるほど濃い色ではなく、大抵は薄い色。どれもが綺麗な色で、フレームの色とよく合っている。人工的な色ならいくらでも見た。まだ、本当の瞳の色を見ていない。
いつか話しかけられる日が来るのだとしたら、言ってあげたい言葉がある。
「今度は素顔も見せてください」