08/27
■秋になるから花火をしよう
ひとり、部屋の中でぼんやりと待っていた。適当に煙草をふかし、天井のあたりを漂う煙を眺めていた。そのくらい待っている時間というのは退屈だった。
彼から電話があったのが一時間近く前。花火をやりたいから部屋に行く、と弾んだ声が言った。おおかた、誰かから今夏最後の花火大会の話でも聞いて自分でもやりたくなったんだろう。ったく、あいつはいつもそうだ。人の話とかテレビとか雑誌とかにすぐ影響される。テレビで焼肉特集をやれば肉が食べたいと言い出し、友達が温泉に行けば自分も行きたいと騒ぎ出す。そんなあいつをなだめるのはいつも私の役だ。成人式などとうに超えた青年が子供のように駄々をこねるのは見苦しい。
ともかく、私は待っていた。電話は一時間前だと思っていたが、時計を見れば一時間半を過ぎていた。ああ、もう待つことは嫌いなのに。あまりにも遅すぎる。
ピンポーン
「鮫川さーん」
ドンドンドン
チャイムに呼び掛けにノック音。まったくもって近所迷惑な訪問をするのはあいつしかいない。やっと来たかと腰を上げ、玄関ドアのチェーンを外した。
彼は秋めいた涼しい風とともにやってきた。
きらきらと輝いている。そうとしか言いようがない笑顔がそこにあった。笑うと童顔がますます幼く見える。お前は本当に社会人なのかと疑ってしまう。
「買ってきたよー」
と、ビニール袋を捧げて見せた。随分と買ってきたようで、重そうに垂れ下がっている。
「ご苦労さん。まあ上がれ」
彼を先導するように部屋の中へ。
「おじゃましまーす」
これまた明るい、成人男性にしては高めの声が隣近所のドアをノックする。私はあわてて人差し指を口に当てた。
「今の時間を考えろ!」
靴を脱いでいる彼は、悪びれた様子もなく、ごめんねーと笑う。なんとまあ、律儀なことに玄関にしゃがみこんできっちり靴を揃えていた。
「ビールー。買ってきたから冷やしといて」
リビング兼ダイニング兼寝室のど真ん中においてあるガラステーブル。その上で彼は持参品を広げ始めた。私も好きな黒生を持ってきたのは褒めてやろう。礼を言って受け取ると、すぐに冷蔵庫に入れた。開けた冷蔵庫には、見事ドリンクとつまみしか入っていなかった。
「何か飲む?」
「花火しながらビール飲もうよ。そのつもりで持ってきたんだ」
「んじゃ、冷凍庫のほうがいいか」
冷蔵庫から移動。狭い冷凍室に缶を四本押し込む。ちなみに、私が三本で彼が一本という計算である。きっと彼は半分も飲めなくて、その分を私が飲むことも予測済み。冷蔵庫の前にかがむ私の背に、彼のしんみりとした声が聞こえてきた。
「もう夏も終わりだから花火も終わりだね。これが今年最後の花火になるかな」
「おー、そうだな」
フィルターぎりぎりまで灰になった煙草を灰皿に押しつけ、新しい煙草に火をつけた。
「ま、うちでやろうとか言うんなら線香花火でしょ? 前に好きだからーっていっぱい買ってたよね」
「あ。ごめん」
そう言った彼は、四角い箱を何個も何個もテーブルの上に置いていた。派手な彩色の小さな箱が一定間隔に並べられる。
「ドラゴンかよ! 女よりも女々しいなりしてて、女よりも純情で乙女なくせにドラゴンかよ!」
しかもこれまた大量に買ってきやがった。私のテーブルを埋めるドラゴン花火。火をつけると盛大に火を噴き始めるドラゴン花火。
「残暑に似合うのは線香花火だっつーの! 夏も終わりだねっつってベランダでしんみりとやるもんじゃないの!?」
「ドラゴンやりたかったんだもん」
やりたかったんだもんじゃありません。でもって、上目遣いにこちらを見るんじゃありません。
「噴水みたいにしゅわしゅわーって光が溢れてくるんだよ。ぱちぱちって光が弾けるんだよ。綺麗だと思わないの?」
「綺麗だけどさ。寂しげな声の割には派手なもんやるんだな」
彼は持っていた四角錘を振り、
「最後はしんみりやるって誰が決めたの?」
真剣な顔で底面の説明書きを読んでいた。蓋を開けて中の導火線を確認している。他のよりも一回り大きいドラゴン花火だった。一通り確認が終わったら、花火の列の最後尾に置く。
そんな彼の姿に、ふ、と肩の力が抜けた。悪い力の抜け方ではない。両肩が軽くなる。
「ドラゴンはベランダじゃできないな。近くの公園にでも行くか」
「わーい。やったー。じゃ、僕一斉に火を点けるよ!」
アホかと溜息つくけれど、無邪気に喜ぶ彼にはそんな顔は見えていなかった。チャッカマンのパッケージをびりびりと破いている。
「花火、全部袋に戻せよ」
私は冷凍庫の中からビールと保冷剤を出し、台所にあった適当なビニール袋にまとめて放りこんだ。ビール缶の表面はもう冷たくなっている。服は面倒だからスウェットのままでいいか。
深夜一時二十分、これから花火をしに公園に行ってきます。