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■カレーをつくる

 タマネギを刻んで、薄く油を敷いた鍋に入れる。しゅわしゅわと音を立て、タマネギに火が通っていく。木べらでかき混ぜては一息つき、一息ついてはまたかき混ぜる。
 おいしいカレーをつくるコツはタマネギをどのくらい炒めたかによるらしい。たしかに透き通るような茶色にまで火を通してからだとおいしいような気はする。
 しかし、私の母はあらかじめ具を炒めてからつくるというのは嫌いだったようで、沸かした湯の中に直接ニンジンやら肉やらを放りこんでいた。たしか、炒め油分のカロリーが嫌だと言っていたような気がする。
   タマネギの香りが立ち上り、換気扇に吸いこまれていく。半分泣きながら刻んだタマネギ三個分。しなしなになっていく。
 カレーをつくっていると、決まって訪問者がある。

 ピンポーン

 すぐそこで大音量のチャイムが響いた。一人暮しのアパートにこの音量はいらないんじゃないかとおもうくらい、音が大きい。
 これは訪問販売か新聞屋、と察する。友人達にはドアを叩くか、電話を入れるように言ってある。チャイムを使うのはそれを知らない赤の他人だけだ。
 チェーンをかけながらドアホールを覗いた。気の弱そうな、眼鏡の女の人がいる。黙っていれば留守で通るかな。そう思ったけれど、ガス台を見て気付く。料理していたから居留守は通用しない。
「はい。どちらさまでしょう?」
 できるだけ不機嫌な顔をして少しだけドアを開けてやる。眼鏡の女の人は私の顔を見るなり、
「壷いりませんかっ?」
 と、必死の表情ですがってきた。手にはこぶりの壷。素人目には百円ショップで売っているものと大差ない。塩とか梅干とか、そんなものを入れるような壷だ。
「いりません」  カレーをつくっている最中だ。訪問販売にはつきあっていられない。閉めようとしたドアを、がっ、とすごい力でおさえられた。
「ああっ! 待ってください。壷じゃなくてもいいんです。ハンコでも数珠でもネックレスでもなんでもいいんです。買ってください!」
 訪問販売の上、霊感商法らしい。こんなアパートに住んでいる学生のどこに金があると思っているのだろう。
「霊験あるんです。教祖様が直々に幸せをお祈りしてくださった品々なんですっ。あなたもきっと幸せになれます。買っていただければ私も幸せになれます。どうかお願いします」
 力説され、涙ぐまれても無い袖は振れない。振る袖すらない。カレーをつくっているのでさえ、なけなしの材料で五日後の仕送り日まで耐えるためだ。
「クレジットでも分割でもお支払いできます。ほら、ちゃんと契約書だって書きますよ。いかがでしょう?」
「あんた、売れなかったら破門されるんだろう?」
「な、なぜそれを!?」
 必死な様子を見ていればそのくらい私でもわかる。商品買わせて何人かを入信させるって腹なのだろう。新興宗教はこれだから嫌だ。客観的に見ても金儲けが一番の目的だ。
 そして、この人は要領が悪くてノルマが達成できないでいる、と。
「保険会社にでも言って修行積んだ方がいいよ」
 それじゃ、と私は扉を閉めた。女の人の悲壮にくれた顔が扉の向こうに消えるまで、私を見つめていた。だから無い袖は振れないんだって。
 止めていた火を再びつける。弱火にまで絞って、木べらで鍋の中身をかき混ぜる。カレーをつくるのは時間がかかる。まだ透明にしかなっていないタマネギを見て、ためいきをつく。もう誰も来ないといいな。

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