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■塩素

 塩素という名の中学一年生の女の子がいる。
 中学生の平均よりは小さめで、白い肌をしていた。塩素のような、白い肌。
 もちろん、本名ではない。
 塩素は塩素が好きだから塩素と呼ばれるようになった。
 学校のプールとか、カビ取り掃除後の風呂場とか、塩素はそんな場所が好きだった。
 シンクの排水溝のぬめり取り。それをあげると塩素は喜んだ。
 プラスチックのケースに入った白い塊。
 それを持ち歩き、においを嗅いではにっこりと微笑んだ。
 でも、決して素手で触らないよう、注意していた。
 塩素は水素と結合して塩酸になる。塩酸は怖い。何でも飲みこんで溶かしてしまう。
 しかし塩素はそれを食べてみたかった。食べてはいけない、ということはしっかり教えられていたし、学校でも理科でどういうものか習った。実際にちょっと触ってみたら、ぴりっとした。
 薄い薄い塩酸は飲んでも大丈夫、と先生が言っていたから、飲んでみたい、と言ってみた。
 だけど、先生は百パーセントの保証はないから、と困った顔で答えた。
 ある日、塩素は彼に、食べてみたい、と言ってみた。
 塩素の身の回りの世話をしてくれる彼も、先生と同様、困った顔をした。

 ちょっとまってて

 そして彼はどこかへ出掛けてしまった。広い家に塩素を独り残し、鍵もかけずに外へ出ていった。
 待ってみた。
 一時間経った。
 まだ帰ってこない。
 そのまま待っていても暇だから、塩素は風呂に入ることにした。
 風呂場はさっき彼がしっかり掃除していた。カビ取りをしたのか、ほんのりと塩素の香りに満ちていた。
 銀色の蛇口をひねると、少しだけ塩素のにおいがする湯が出た。
 鼻の下まで湯に浸かり、大きく大きく息を吸った。
 塩素は塩素が好きだった。

 またおふろかい?

 彼が帰ってきた。パタパタというスリッパの音が近づいてきて、風呂場のドアを開ける。外気が入ってきて、塩素は少し寒かった。

 くち あけて

 大きく口を開けた塩素の口の中に、ぽん、と彼は塊を入れた。
 舌の上で転がすと、しゅわしゅわとと溶ける。甘くて、ほんのちょっとだけヨーグルトの味がした。
 彼を見上げると、手に白い塊を持っていた。
 十円玉くらいの大きさの白いタブレットだった。
 塩素はそれが塩素ではないことを知っていた。ラムネ、と呼ばれているお菓子だと、知っていた。
 だけど、文句は言わなかった。塩素は食べられない、と知っているから。
 困った彼が考えて、あちこち探してきてくれたから。

 ありがとう

 ぽつり、と塩素が言うと、彼は微笑んでもう一個ラムネをくれた。

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