雨が降っている日は外に出たくない。
 家の中で寝転んで、そっと壁に触ってみる。
 狭い六畳の部屋。私の部屋は角部屋で、西隣には誰もいない。壁の向こうには空気がある。 外がある。
 誰もいないはずだけど、私はそこに誰かがいるのを想像する。誰かが私の隣に住んでいて、 生活している。同じ間取りの部屋で毎日テレビを見ている。ご飯を食べている。風呂に入っている。寝ている。
 誰かが向こう側にいる。
 東隣の住人は、テレビの音がうるさい。朝起きてテレビをつけて、家を出るまでずっとつけたまま。
 きっと、一人暮らしが寂しいんだと思う。狭い六畳の部屋に独りでいることが耐えられなくて、テレビをつけるんだと思う。ブラウン管の中には楽しい世界もつまらない世界も、全て詰まっている。体験したことのないような世界も、日常でしかない世界も、そこにはある。そして、人がいる。人がいて、笑って、泣いて、叫んでいる。しかし、人はいるけど、語りかけてはこない。話しかけても返事はしない。結局、独りだ。東隣の住人はそんなことにも気付かない。
 テレビが住人の寂しさを癒しているのだとしても、私にとっては騒音でしかない。たとえテレビがかけがえのないものだったとしても、私にとっては騒音でしかない。
 雨の日だけど、東隣の住人はいないらしい。テレビの音がしない。雨の音だけ。
 雨の音はうるさい。うるさいけれど、気にしなければ気にならない。だって、私は何かを聞いているわけではない。誰かと話しているわけではない。雨の音を気にする必要なんてない。
 そして、私は西隣の住人を想像する。
 今、何をしているんだろう? 今起きたところかもしれない。少し遅い昼食を食べているかもしれない。それとも、どこかに出掛けていて不在なのかもしれない。
 私の想像の中で、西隣の住人は、繰り返しの日々を送る。お互いに、顔も知らない。現代の日本なんてそんなものだ。隣の住人を知らない、なんてことはよくある。いつ引っ越してきたんだろう? どうしてここに住んでいるんだろう? 学生なのか、社会人なのか、それすらも、知らない。
 西隣の住人は私の想像の中。私が知っているのは私の隣の部屋に住んでいるということだけ。今、触れているこの壁の向こう側に誰かがいて、その人は生活している。それだけ。

戻る