私小説

 夜も明けないうちからコケコッコーと声がする。朝三時、どこぞの農家の鶏がまだ昇らない朝日の到来を告げる。東の遠くの鳴き声が伝播して、一時間後、我が家の近隣農家の鶏もコケコッコーと間抜けな声を上げる。
 この鶏、無駄に元気なものだから、ご近所から苦情が出るほど鳴きわめく。人間が鶏に苦情を言ったところで自然現象。鶏のくちばしに猿ぐつわを噛ませるわけにもいかず、ご近所さんは防音ガラスを入れることを余儀なくされた。
 ただ一人、僕の部屋を除いては。
 そんなわけで僕は朝四時に目を覚ます。寒い寒いと言いながらジャージに着替え、まだ暗い表に出る。新聞配達にも牛乳配達にも早過ぎる時間。当然人がいるはずもない。とりあえずゴミを出してから家の前で軽く準備体操をし、走り出した。白い息が規則正しく吐き出される。寒いと嘆く身体もやがて温まり、薄っすらと額に汗がにじむ。
 コースは家から川辺まで。その後は小学校を迂回して大通りを横切り、家に戻る。ゆっくり大股に走って一時間半ほどの距離だ。
 誰もいない道を悠々と走る。僕がこうやって無人の早朝をジョギングするようになってふた月ほどになる。最初は息切れしていた身体も慣れ、少しずつではあるが、軽やかに走れるようになってきた。
 どうしてこんな早朝に走るのか。理由は簡単だ。
 人がいないから。

 今年の春に思い切って大学をやめた僕は、特に働きもせずに実家にいる。始めは、最近流行りの「ひきこもり」になってやろうと一歩も外に出ないでいたが、三日で飽きた。本を読んだり、テレビを見たり、インターネットをしたりした。食事は作らなくていいし、掃除も洗濯もしなくていい。大変ラクチンである上に、おやつまでついてくる。そんな何もしないでごろごろしている生活も悪くはないが、どうしても身体が運動を要求してくる。二日目にはスクワットと腹筋を始め、三日目にはそこにお昼の番組で見たダンベル体操を追加した。そして四日目の朝、うずく運動欲求に絶え切れずに外に出てしまった。僕は外の空気に歓喜し、そこら中走りまわった。じっとしていることができない性格であることは重々承知していた。家の中にずっといても同じ事しかしない。刺激の無い生活にほとほと飽きてしまっていた。
 そして僕は朝に走り始めた。
 かつては暇になる昼間に走っていたが、田舎であるがために、真っ昼間に走りこんでる青年男子はよく目立った。しかも、顔を知っているご近所さんに「この子働いてないのかしら?」という視線を向けられる。どうにもいたたまれなくなった僕は、やむなく早朝に走ることにした。

 いつものコースをいつものペースで走り、朝日が昇り切った頃には家に辿り着いていた。
 この頃にはもうご近所さんも起き始める。玄関先の新聞と牛乳を回収するとそそくさと家に上がった。
 汗だくのまま風呂場に直行。ジャージを洗濯機に放りこみ、シャワーを浴びた。
 運動の後の風呂は最高なんだけど、朝からそんな贅沢言ってられない。朝寝と朝酒と朝風呂が大好きな人は家を潰すと古い民謡でも歌われている。僕は手早く汗を流し、昨日洗ったシャツとズボンを履くと、風呂を出た。
 入れ違いに、起き出した父が脱衣所兼洗面所に入る。「おはよう」と言うと寝惚けた声が返ってきた。
 頭を拭いたタオルを肩にかけたまま、僕は台所の炊飯器を確認した。『炊飯』のボタンが赤く光り、蓋のてっぺんから蒸気を噴き出していた。炊き上がりまであと十分てところかな。
 冷蔵庫を覗いて材料の確認、搬出、調理。卵を焼く前に母を起こしに行く。父はすでに身支度を整え、食卓で新聞を読みながら、朝のニュースを聴いていた。
 母は朝が苦手だ。寝起きが悪い上に、寝ることが大好きときた。本人は低血圧だからと主張するけど、低血圧と寝起きの良さの関連性は証明されていない。そんな母を起こすのは一日の中で最も重労働であると言えた。
 そっと両親の寝室に入る。きっちりと遮光カーテンを閉められた部屋は薄暗く、隙間から射す細い日の光が室内に一筋の線を描いていた。きちんと畳まれた父の布団の隣には乱れまくった布団。一番下にかけている毛布を手繰り寄せ、羽毛布団を引き剥がした姿で母が寝ていた。いい歳した大人がへそ全開。まあ、いつものことなんだけど。
 母の肩を揺らして声をかける。むにゃむにゃと何事かを言うが意味が取れない。仕方なく、もう一度声をかける。今度は手をはねのけられた。本当に寝起きが悪い。ついには大声で母を呼び、毛布を引っ張った。母は情けない声を上げながら毛布にすがりつく。僕はそんな母を叱咤しながら布団を全て引っぺがし、とりあえず畳の上に正座させた。
「おはようございます」
 手をつけて朝の挨拶はできるものの、そのまま前かがみに倒れていく。倒れる母を支え、耳元で元気にご挨拶をしてやった。
 家族揃っての朝食を済ますと、急いで両親を送り出す。携帯を探す父に「電話代の上」と、口紅の色で悩む母に「明るめのワインレッド」と教え、家から追い出した。
 働き手が出ていくと家に落ち着きが戻る。やれやれ、と僕は息をつくとテレビを消した。消す瞬間、ブラウン管には何台もの戦車と破壊された街が映し出されていた。朝食の後片付けから始まる、掃除や洗濯といった一連の家事をこなすとすでに昼近くになっていた。
 軽く昼食をとった後は自由時間となる。パソコンを立ち上げてメールをチェック。いくつかのメールに返信し、ニュースサイトを巡回して電源を落とした。僕にとってインターネットはツールの一種であり、それ以上でもそれ以下でもない。メディアとしてテレビや新聞と同レベルであり、依存するほどの魅力は感じていなかった。
 少しだけ本を読んで、少しだけ音楽を聴く。本にもCDにも困らなかった。父の蔵書が分野を問わず大量にあったし、母が趣味で集めた幾ばくかのCDは何度聴いても飽きることがなかった。
 そしてそこに少々の昼寝。
 週末だったら仕事が休みの友人たちと遊ぶが、僕は午後のほとんどを自宅で過ごした。
 こんな毎日のどこが「ひきこもり」と変わらないのだ、と言う人もいる。しかし、まったく健康的な生活ではないか。僕は外出することに抵抗がなく、人との会話を厭うこともない。定期的に運動もすれば、規則正しく食事も摂る。睡眠時間は昼寝の時間と合わせて八時間。家事も好きだ。特に、メニューを考え、材料を選び、調理するという料理の過程がとても楽しい。もちろん、食べることも楽しみだけど、それは「料理」というものの醍醐味を半分も味わっていない。献立決定から皿を空にするまでのプロセスの上で感じられるものが料理の本質であり、これが真に人間の食欲を満たすのだ。
 独り暮しだった大学時代にも一応していたが、その頃は面倒くさいと感じるばかりで、家事の面白さを知らなかった。
 ご近所の僕の評判は気になるものの、今では、このまま主夫として生活しても悪くはないと思っている。喜んで家事をするおかげで、母には「いつ婿に出しても恥ずかしくない」とまで言われる始末。それは相手がいればの話です。
 居間のソファでうとうとしているうちに日が翳ってきた。五時少し前に目を覚ました僕は、財布片手に外に出た。今朝見た折りこみ広告を思い返す。今日は肉の特売日。
 軽自動車で少し離れたスーパーへ行く。家に一番近いスーパーではないのは、やはりご近所さんの目に晒されるのが嫌だからだ。五時過ぎに出かけるのも、仕事帰りを装うため。変なところに気を使う、と笑い飛ばされたことがあったけど、僕の立場になってみろ。会うたびに「あらあら、あそこの坊ちゃんでしょ? こっちに帰ってきたのねぇ。お仕事は?」とか言われるんだ。肩身が狭くてどうしようもない。
 あらかじめ広告でチェックしておいた、しゃぶしゃぶ用牛肉と牛豚合挽き、鳥手羽を買う。おいしそうなものを何品かと、なくなりそうなみりんとマヨネーズも買う。疲れて帰ってくる両親のため、これまた広告の品であるビールも一ダース買った。酒税が上がるという話を思い出して一瞬手が止まったけど、こんな僕を家においてくれる二人には感謝しなければならない。僕がやりくりすれば酒代くらいどうにかなる。
 これだけ買うと軽自動車の後部座席はいっぱいになった。車は重くなったけど、その重さがなんとなく嬉しい。幸い知り合いに会うこともなく、鼻歌混じりで家へ帰った。
 帰ったら風呂を沸かし、夕食をつくり、両親の帰宅を待つ。遅くなるときは五時前に連絡が入る。連絡がなければ、七時過ぎまでには帰ってくる。
 風呂掃除は家事で一番好きかもしれない。幼い頃から風呂掃除が僕の仕事だった。もうキャリアは十年を超え、ちょっとした自信がある。
 靴下を脱いで袖をまくり、風呂場に入る。思いっきり泡を立てたスポンジを浴槽に滑らせる。湯垢でざらついた表面が綺麗になるのが気持ち良かった。シャワーで泡を流すと、つるつるの表面が現われるのが気持ち良かった。
 ほんのりと漂うレモンの香り。排水溝の蓋からタイルの隙間まで点検する。よし、今日も完璧だ。浴槽の蛇口を捻った。勢い良く出てきた湯が、空っぽな浴槽の底を覆っていく。やがて底面を支配した湯は、今度は水面の上昇を始める。そこまで確認してタイマーをセットした。次に確認するのは十五分後。
 風呂場をあとにして、台所に入った。今日の献立はハンバーグ。玉ねぎのみじん切りに涙しながら、着々と準備を進め、両親の帰宅に備える。時計代わりにテレビをつけた。夕方の番組が、インターネットで見たのと同じニュースを流していた。

 かつて、家で家事をやっていると暇だろう、と言ってきた友人がいた。
 僕より一つ年上で、大学の先輩だった。証券会社に入り、休みの日でもパソコンを持ち歩いて株価をチェックする。そんな男だった。いくらなんでも遊んでるときくらいはいいじゃないか、と指摘すると、絶えず動くものだから頻繁に見ろって先輩に言われてるんだよ、と苦笑した。
 四六時中仕事が頭から離れない友人には、僕のような生活は凡庸で退屈きわまりないものに見えるらしい。人から見れば単調な生活に見えるだろう。しかし、家を掃除するにもテクニックが必要だし、献立を立てるには頭を使う。季節の変化に応じることも必要だ。一見同じような日々ではあるけれど、やりようによってはとても刺激的な毎日へと変わる。仕事をしてたら経験できないこともある。
 そう説明してやったが、それでも友人には納得できなかったようだ。中途でもいいなら紹介しようか、とパソコンの蓋を閉めながらそう言ったが、僕は考えておくと答えただけだった。
 両親の帰宅までに夕飯が作れるかどうか。これだってタイムトライアルみたいなものだ。 彼には一生経験できない。
 夕食が終われば後片付けと家族団欒の時間。ビール片手にテレビを見ながら笑って過ごす。今日一日の出来事を話したり、時には社会問題についての難しい議論もする。商学部経営学科専攻の父と教育学部理科専攻の母親はだいぶ視点が異なる。得てして傍聴者になってしまう僕としても、多面的な意見が聞けて興味深い。
 そうして夜も更け、僕は明日のために十時には寝る。
 まだテレビを見ている両親にお休みと言い、自室に入る。
 外に干したシーツは太陽の匂いがする。それが嬉しくて、一人微笑んだ。枕を頭に当てれば一日の疲れが身体の奥から染み出してくる。今日一日を思い返しているうちに目蓋が降り、意識が身体から出てくる泥の中に沈んでいく。明日も早く、起きよう、と完全にぬかるみに没する直前、意識に焼き付けた。
 そしてまた朝がやってくる。
 実に充実している。
 半分趣味になっているとは言え、家事も労働。全ての仕事が家庭外にあるとは限らない。幸い家庭内労働は僕の性に合ったようだ。両親も無理に外で働けと言わないし、気楽に毎日を過ごしている。
 いつかは外に働きに出なければならない時もくるだろう。しかし、僕はいましばらく、モラトリアムにも近い悠々自適な主夫生活を続けたいと願わずにはいられなかった。

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