*日目


 少女の旅に目的らしい目的はなかった。

 行く宛もなく、帰る家もなく、少女の時は流浪の旅に消費されていた。

 貪欲に富を求めることもなかった。

 名誉の意味を知るには幼すぎた。

 彼女が何かを探していたとするならばそれは、




 ――ただ一人の懐かしい人との再会だった。





 食えと言われて目の前に置かれたのは粗末なスープでした。茶色に濁った汁の中にわずかに緑色の物が見えます。メイファはお椀に箸を突っ込んで掻きまわし、具を持ち上げてみました。青々とした草がずるりと姿を現わしました。隣で同じようにスープを渡された少年はそれを見て、うげ、とうめきました。
「おじちゃん、メイはうさぎさんだけど、お肉のほうが好きなの」
 耳をうなだれてメイファはおじちゃんこと珊瑚に訴えかけました。
「贅沢を言うんじゃない。今はこれしか材料がないんだ」
「だけどおっちゃん、いくら日本人でも味噌汁にパンはなしだよ」
 少年は先ほどから固そうなパンの耳でメイファの耳を叩いています。すっかり元気をなくしたメイファにはそれを諌める力もありません。真っ白い耳にパンくずがついても、されるがままでした。
「ならば食べなければよろしい」
 相変わらず感情のわかりにくい顔で珊瑚は自分の分を口に運びます。この草は遺跡の外で投売り同然だった雑草です。成熟しきった固そうな深緑の葉を、誰が食べられる物だと思うでしょう。食べにくいはずなのに、おいしいわけないのに。それを見て少年は不満げに舌打ちしつつも味噌汁をすすりました。生物は食事をしないと生きていけません。そして食事を用意してくれる人は絶対です。この三人の中で唯一料理ができる珊瑚の立場が一番上となるのは必然でした。
 黙々と腹ごしらえを終えた三人は遺跡の探索を再開します。遺跡の探索は地味な作業です。少し進んでは辺りを伺い、怪しいものを探し、何も見つからなければまた進みます。それがただの石造りの回廊であれば楽なものでしたが、この遺跡はところどころ森になっていたり砂漠になっていたりと、崩壊と侵食がだいぶ進んでいます。茂みをかき分けたり砂に足を取られたりと、中々先へと勧めません。そして何故かメイファは珊瑚に小脇に抱えられていました。
「メイ、一人で歩けるよ」
 もがいて降りようとするメイファを珊瑚がたしなめます。
「君と私たちではコンパスが違いすぎる。歩くのが遅くて進行も遅れるなんて論外なんでな。我慢してくれ」
「メイはそんな短足さんじゃないよー」
 反論はするものの、メイファはおとなしく珊瑚の腕の中に納まっていました。男性二人と小さな小さなウサギの女の子。体格の差は歴然としています。メイファの足では三歩かかる距離が、珊瑚は一歩で済むのです。
 よくよく辺りを見れば、抱えられているせいで視線がいつもより高いです。世界が違って見えます。足がついて自走するサボテンはいつも下から見上げていました。けれど今では同じ高さ、個体よっては頭のてっぺんまで見えます。これはこれで面白いと思うことにしました。
 あれに乗ったらもっと面白いかもしれない。そんなことを考えながら少年を見ました。少年のかたわらのピンクのウサギのぬいぐるみは、二メートルを優に超える大きさがありました。ぬいぐるみにはえりざべすという名前がありました。そしてぬいぐるみのえりざべすはあろうことか自立して喋ることができました。少なくともメイファにはそう見えていました。今も少年の護衛であるかのごとく、ぴったりと背後に張りついて歩いていました。
「ん?」
 えりざべすを見ていたメイファの耳と鼻がぴくりと動きました。遺跡の中ではほとんど風らしい風はありません。しかしながら隙間から漏れ入ってくるのか、ゆるやかに空気が流れています。その穏やかな風が運んできたものにメイファは敏感に反応しました。
「おねえちゃんのにおいがする!」
 珊瑚の腕から抜け、メイファは走り出しました。あまりにも素早い動きに珊瑚とえりざべすも反応できません。
「どこ行くんだ!」
 舌打ちしながら珊瑚が追いかけますが、メイファはそんなの構っていられません。一心不乱ににおいの元をたどります。懐かしいにおいに一人の女性を思い出し、いてもたってもいられなくなったのです。風を切る顔は真剣そのものでした。メイファがこんな真剣な顔をしているのはご飯を食べているときくらいです。
 その女性はメイファにとってとても大切な人でした。とある国で自警団の仕事をしていた時に知り合い、冒険者として、いえ、人間として大事なことをたくさん教えてくれました。何より給仕服に身を包み戦うその背中は、メイファに人に尽くすメイドさんの素晴らしさを焼きつけました。
 自警団が解散し、別れてからかなり経っていました。物覚えの悪いメイファでしたが、それでもその女性のことは忘れませんでした。
「おねえちゃんにどうしてもどうしても会いたいの」
 赤い目が三人組を見つけました。メイファと同じか少し大きいくらいの、やはり小柄な少女たちのようです。一人は金髪、もう一人は古風な和服、そして最後の一人はメイド服でした。
「しるふぃおねーちゃん会いたかったのー!」
 把握。標的認識。跳躍。そして強襲。

 人間、本気でヤバい時には悲鳴なんて出ないものです。

「おねーちゃんおねーちゃんおねーちゃん!」
 メイファは無我夢中で首にしがみつきます。背後から全力で突撃して押し倒し、背中に乗ったまま「おねえちゃん」と思われる人を抱きしめます。蛙が潰れたときのような声がしたような気もしましたが、そんなの気にしていられません。メイファの下敷きになったメイド服の少女はロープを求めるかのごとく、必死に右腕を伸ばしていましたが、やがて力なく地に落ちました。少女が握っていたマイクも地を転がります。
「あの、うさぎさんはしるふぃお姉様をご存知でいられるのです?」
 控えめな声にメイファは正気に戻りました。見上げると、涼やかな青い髪を一本に結い上げた少女が不安げな顔でこちらを見ていました。和服に真っ白いエプロンをつけたこの少女もメイドさんのようです。
「残念ながらそのお人はしるふぃお姉様では」
 少女の言葉は途中で止まりました。すっくと立ち上がったメイファは今度は和服少女に取りつきました。
「おねえちゃんからしるふぃおねえちゃんのにおいがする」
 眉間にしわを寄せ、これまた真剣な顔で鼻を近付けています。怯えた顔の和服少女は、呆然と見ていたもう一人の金髪の少女に視線を送りますが、メイファは目の前のにおいに夢中です。和服少女と金髪少女が何かに気付いて上げた小さな声すら耳に届いていませんでした。
 メイファの体が後ろに引っ張られました。小柄なメイファではその強い力に抗えません。気付いたときにはあっさりと和服少女から剥がされ、フィギュアスケートのように回転しながら駆けてきた道を引き戻されます。もちろんメイファはフィギュアの選手などではありません。回転が止まるころにはすっかり目を回してしまいました。

「まったく、とんだウサギ娘だ」
 ぼやく声は珊瑚です。その腕でメイファを小脇に抱えています。メイファの体に巻きつけた鞭を一振りで巻き取ってまとめると、腰に戻しました。
「そこのお嬢さんたち、驚かせて悪かったな。あまり気にしないでくれ」
 少女たちはメイファに潰された少女に取りつき、何かしているようでした。間もなくメイド服少女が起きあがり、こちらに向かって手を振りました。魔法か何かで治療してもらったのでしょう。大事には至ってないようです。
「ぐるぐるなのよー」
 メイファはまだ目を回しています。長い耳はぐったりと垂れ、ぴくりとも動きません。
「厄介な鼻は封印してしまいましょう。そうしましょう」
 ドス黒い笑みを浮かべた、のかどうかはわかりませんが、表情が変わらないぬいぐるみのえりざべすは、どことなく嬉しそうな手つきでメイファの鼻に丸めたティッシュを詰めこみました。



『○月×日

 においがした
 めーどさんいた
 おねーちゃんいなかった
 はなくるしい     』

(メイファの日記より抜粋)

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