13日目

 悪夢、再び。


 腕に巻いた時計の針は八時半を示している。遺跡内は常時薄暗く昼夜もないが、おそらく夜であると思われる。自分は現在位置と後方を確認する。
 後続の三人も自分と同じような軍装に身を包んでいる。それぞれの役割に応じて細かな装備は異なっているが、基本は濃緑の野外戦闘服である。胸につけた階級章はそれぞれ上等兵、一等兵、二等兵となっている。自分の階級は伍長だ。つい半月ほど前に上等兵から昇進した。それが嬉しくないわけではないが、事情が事情であるだけに胸の星は曇っているようにも見える。

 そう、半月前のことだ。今思い出しても背筋が凍る。
 我々は哨戒任務中に忌まわしき二足歩行生物――《ニンゲン》と出会ってしまったのだ。我々は必死に抵抗してどうにか奴らを撤退させたものの、その犠牲はあまりにも大きかった。当時、自分が所属していた班長は殉職。班長を失った部隊は壊滅し、死を悼む間もなく残された我々は別の部隊に散り散りに配属された。
 死は軍属の隣人である。入隊を決めた時から覚悟していたものの、いざ目の前にすると心は簡単に折れた。任務中は厳しい一面しか見せない班長が、ふとした折に見せてくれたあの笑顔。自分はあの人の優しさと強さに支えられていたのだと今更のように気付いた。
 だからこそ志願した。
 《ニンゲン》の存在確認からほどなく、軍隊内で特殊部隊兵の募集があった。対《ニンゲン》兵装に身を包んだ遊撃部隊の結成である。
 補給部隊でミサイルを磨いていた自分は一も二も無く応募用紙に飛びつき、勢い勇んで軍司令部に駆け込んだ。これで班長の敵討ちができる。たとえ力及ばずとも、あの《ニンゲン》に一矢報いることさえできれば本望だ。
 その想いは自分だけではなかったようだ。
 司令部にはかつて同じ班だった一等兵と二等兵の姿もあった。もちろん二人とも応募用紙を握り締めて。

 そして我々は再び同じ班を組んで行動することとなった。《ニンゲン》と直接相対しながら生還した功績として皆、一階級ずつ昇進した。副長であった自分が必然的に班長となった。くわえて、班は四人一組が原則であるので新人の二等兵が一人加入した。この二等兵、軍学校の歩兵科を主席で卒業しているとのこと。特に射撃の腕に優れ、新人ながら非常に心強い。

 今、自分の後続にいるのはその三人だ。草むらに伏せ、緊張した面持ちで前方を注視している。自分の直後にいる上等兵が小さく現況を呟いた。以前、自分がやっていたように録音機に記録しているのである。
「班長、どうします」
 小声で一等兵が囁いてくる。我々の眼前にはぽっかりと空いた広場がある。普段ならば遺跡の森に棲む生物たちが会合を開く場である。我々もこういった場所で野営訓練をしたことがある。
 そこにいるのだ。
 《ニンゲン》たちが。


「直火にかけるな! 油分が分離してすぐ焦げるぞ!」
「えー。じゃあどうすればいいのー? ひとはだであっためる?」


 く大きなサイズのものが二体、中くらいが一体、小さめが一体。
 なんたる幸運だろう。奴らは我が班長を鬼籍へと追いやった四人組ではないか。自分には《ニンゲン》の個体の区別などつかないが、奴らだけは忘れたくとも忘れられなかった。
 ひょろ長い緑色の奴。
 とりわけ凶暴な桃色の奴。
 長柄の武器を持っているが、基本的にはぼんやりしているだけの奴。
 一番小さいくせに一番動き回るうるさい奴。
 幾度夢に出たことだろうか。幾度奴らの悪夢にうなされただろうか。幾度夢の中で奴らをこの手で屠っただろうか。
「班長」
 上等兵も自分に囁いてくる。彼は今はこの班の副長を務めていた。三人は真剣な顔でこちらを見つめている。自分の判断を待っている。彼らの命は自分の手の中にある。ここで判断を誤れば、間違いなく我々は死ぬ。
 それでも兵隊としての自分はせり上がってくる想いに勝つことができなかった。
「わかっている。奴らだ。班長の敵を取るならこの機会しかない」
「しかし、我々単独で動くのは危険です。圧倒的に兵力が足りない」
 自分の言葉に反論してくる上等兵の後を追い、
「本部に連絡し、増援到着を待つべきです」
 新人が非常に冷静に言った。教科書に書いてあるかのような的確な判断だ。かつて副長であった自分であれば、そう答えたであろう。
 しかし、今の自分は兵である前に一人の鬼である。司令部の扉を叩いた時から復讐の鬼となった。
 自分は銃を構え、後続の三人に向き直った。
「諸君を巻き込んで非常に申し訳なく思っている。だが、許してほしい。自分にも兵ではなく、一人の漢として戦いたい時があるんだ」
 上等兵と一等兵、そして新人を見つめ返す。無意識のうちに唇を強く噛んでいたようだ。自分の口の中に苦い味が広がった。
「ここで諸君ら若い命を散らすのは上官失格だと認識している。だから逃げたい奴は逃げてもいい。副長、自分の言葉を記録しているな? ――よろしい。もう一度言おう。これは上官命令だ。逃げたい奴は逃げろ。諸君には頭がおかしくなった上官に付き合う義務はない。もう自分を上官を思わなくてもいい。自分は軍人としてではなく、漢として奴らに挑む」


「ばかもん。こうやって湯を張ってだな」
「わ、おじちゃんすごーい。てんさーい」


「自分はついていきます。断る理由なんてありません」
 上等兵が自分の銃に、銃先を重ねた。
「自分も。昔の班長にも今の班長にも恩義がありますから」
 少しだけ気弱に笑い、一等兵も銃先を重ねる。
「もう上官じゃないんですよね。ならあえて言わせてもらいます。あんたたち、馬鹿ですね」
 新人は清々しい笑顔を浮かべた。三つの鋼に比較的新しい銃身を重ねる。
 我々は力強く肯く。今、班はひとつになった。


「去年も作ったんじゃなかったのか」
「きょねんはきょねん。ことしはことしだよん」


 広場にいる《ニンゲン》のうち、二体は焚き火の前で何やらやっている。もう二体はそのそばに横になっている。四体とも手ぶらで武器らしき物は見当たらない。《ニンゲン》たちは会話をしているようだが我々には奴らの言葉はわからない。しかし、今は武装を解いて休憩しているであろうぐらいは見当がつく。
 奇襲をかけるなら今だ。
 手にした銃の安全装置を外す。相打ち覚悟で口に手榴弾をくわえた。
 我々は四人は低く低く腰を落とす。


「今度はなかなかいい感じだ。ちょっと量が多すぎる気もするが、それ全部使うのか?」
「うん! おっきーのつくるのよー」
「もしかしなくても本命用か」
「えへへ、しるふぃおねーちゃんにあげるのよん」
「しるふぃおねーちゃんって誰だ……いや、その前に女にあげる気か?」


 一番小さな個体を狙う。今更なりふりなど構っていられない。少しでも相手の残存兵力を減らせればいいのだ。

 ――墜ちろ!

 そう叫んだのは自分だっただろうか。
 銃剣を構えて突貫した自分と小個体の間に、桃色の影が割って入り――


「うさ、後ろ!」


「……べすチョコと歩行雑草チョコか」
「ご、ごめんなさいなの。せっかく溶かしたチョコレート、ぶちまけちゃってごめんなさいなの。べすもごめんなさいなの!」
「こんなきれいにコーティングしやがってッ!! お前の耳もチョコにしてやるゥゥゥ!」
「ふえーん、ホントにごめんなさいなの!! えっと、えっと」

「べすチョコはきょーすけにあげるの。くさチョコはおじちゃんにあげるの」

「「こんなんいらんわぁぁ!!」」



『○がつ×にち

 おねーちゃんにあげるちょこつくった
 べすちょことくさちょこつくった
 いらないっていわれた
 おとめのじゅんじょーふみにじられた』

(メイファの日記より抜粋)

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