12日目

「おーにくー
 おーにくー
 おーいしーぃ、おーにくー」

 果たしてそれは歌のつもりなのだろうか。
 調子の外れた声に明るさはない。
 声は陰鬱に。
 顔は努めて明るく。
 メイファは一心不乱に出刃包丁を研いでいた。

 背から立ち上る禍々しいオーラまでも目視できる。
 ただならぬ様に怯んだものの、見兼ねて珊瑚はメイファに声をかけた。
 するとメイファはギリギリギリとまるで機械仕掛け人形のように首を回し、にたりと笑った。

「恭介に呪いをかけてやるのよ」
「おい、口調変わってるぞ」
「うふふ、どうしてやろうかな。零ちゃん直伝の魔法で全身カイワレにしてやろうかな」

 磨き上げた幅広の包丁にメイファの顔が映り込む。
 全身カイワレ人間。
 どこのB級映画だと思わないでもないが、よくよく考えてみれば地味に恐ろしい。

「零って誰だよ」
「今宵も我が斬鉄剣は血を求めているわ」
「剣というか包丁だろう、それ」

 例のごとくと言えば例のごとく、珊瑚の指摘はスルーされる。
 舌なめずり。
 メイファは包丁に映った自分の顔を覗き込みながらほくそ笑む。

「だってズルいと思わない? あの子、自分ひとりだけお肉食べてるのよ。仲間だっていうのに私たちには分けてあげようなんてこれっぽっちも思っていないの」

 うふふと暗い微笑。
 珊瑚の背筋を冷たいものが駆け下りた。

「……お前誰だ」
「私は私。メイファという名の小さなうさぎ少女よ」
「嘘だ」

 ぽつりと反論した珊瑚に対し、口元を隠して笑ってみせる。
 今までのメイファからは考えられないくらい艶っぽい。
 珊瑚は獲物を誘い込むために美しく進化した食肉花の話を思い出した。

「私よりも今は恭介よ。あのガキ、これ見よがしに人の前で美味しそうに肉を頬張るの。憎らしいったらありゃしない」
「だから誰だお前」
「そういえば珊瑚さんもお肉持ってたわよねぇ……?」

 メイファが珊瑚を見上げる。
 手元の包丁がぎらりと光る。
 紅い目が据わっている。
 珊瑚は先日新調したばかりの黒い鞭に手を伸ばす。
 仲間と言えど、害を及ぼす存在ならば躊躇いはない。
 殺らなければ殺られる。
 あれはそういう世界で生きてきた野生動物だ。


「うさー、肉食べるー?」
「たべるー!」


 それまでの漂わせていた狂暴さはどこへやら。
 メイファは包丁を放り出して恭介のほうへと走っていった。
 張り詰めていた糸が切れ、珊瑚は肩を落とした。
 見事なまでに研ぎ上げられた出刃包丁をどうしようかと考えた末、懐に仕舞い込んだ。
 包丁は肉をさばくのにちょうど良さそうだった。


* * * * *


 足取り軽くメイファは歩いていきます。
 手には謎の葉っぱ。
 筒状に丸めたその中には焼いた肉が入っていました。
 見たところひき肉のようです。
 細かい肉はすぐにバラバラになるからと恭介が葉で包んでくれました。
 立ち上る香ばしい薫りに時折ちらりと中身を見ますが、メイファはまだ口をつけようとしません。

「おにくー♪ おにくー♪
 おにくたべるのよー♪」

 やっぱりメイファに歌の才能はないようです。
 センスの欠片もない、歌と呼べるのかすらあやしい旋律を口ずさんでいます。

「こんにちは」

 そんなメイファが向かった先には羽を生やした青年が一人。
 なぜかじょうろを持った長身の青年が一人。
 そして白い猫のぬいぐるみが一体。

「にゃあ、すっとこどっこいのメイにゃあ」

 ぬいぐるみの言葉がほんのりトゲトゲしいけれど、そんなことを気にするようなメイファではありません。

「どうしました?」

 羽の生えた青年はにこやかにメイファを迎えました。
 すっかり顔馴染みになったレスです。
 動くぬいぐるみはレスの相棒のミルキー。
 もう一人、じょうろの青年は初めて見る顔ですが、どうやらレスの仲間のようです。

 メイはひとつお辞儀をして言いました。

「しゅーかくさせてほしいの」
「にゃあ!?」
「おにくとベストマッチなの」

「おー、いいぞー」

 答えたのはじょうろを持った青年でした。
 ミルキーが「ブラシャァァァ!」とか叫んでいたけれど、青年は一向におかまいなしです。
 親切にもメイファを抱え、手が届くようにミルキーの前まで持ち上げてくれました。

 何故カイワレの収穫でメイファを抱き上げる必要があったのでしょう。
 そんなの一目瞭然。
 ミルキーの頭に燦然と輝く、


 カイワレ。


 青々とした葉に水滴がきらきらと光っています。
 ミルキーの頭上でスクスクと成長しているようです。
 市販の物よりもほんの少し太くほんの少し青い、実においしそうなカイワレです。

 このカイワレは幸せの魔法と称してメイファが植えつけたものでした。
 植えつけた人間には収穫の義務が生じます。
 メイファはそれをむんずと掴んで思いっきり引っ張りました。

「にゃあああ! 痛い痛い痛いにゃ! 引っ張るにゃあ!」

 ミルキーが暴れます。
 メイファのぺったんこの胸を丸っこい手でぺしぺしと叩きます。

「だから痛いって言ってるにゃあああ!!」

 ぱかっと口が開きました。
 ミルキーはただのぬいぐるみではありません。
 魔力が込められた特製のぬいぐるみなのです。
 開いた口から暗く赤い炎が見え隠れしています。

 人の魂を食らう呪いの魔法――呪術。

 赤い炎の向こうに目があったような気がしました。
 メイファは息を呑みます。
 その何者かの目と視線が合ってしまったような気がしました。

「はいはい。大人げないことしてんじゃないの」

 じょうろの青年がミルキーの顎を押し上げてパクンと閉じます。
 暗い炎が見えなくなりました。

「かなり根深くなってるみたいだ。他のカイワレを当たってくれ」

 言って、青年はじょうろの水をミルキーの頭というかカイワレにかけました。
 レスはそんなやり取りを生温かい目で見ていましたが、ふと何かに気付いて顔を上げました。

「エルヴェさん」
「何やってんの?」

 流麗な金髪の少年でした。
 人に在らざる空気を纏ってはいるものの、整った顔は妙に人間臭いものです。
 悪戯っこのそれです。

 少年は羽の生えた青年の背中から出てきたように見えたけれど、メイファは深く考えないことにしました。
 恭介の中に住んでいるべすと同じようなものだと自分に言い聞かせて納得します。

 少年はメイファを見るなり、顔を引きつらせました。

「……げ、うさぎだ。バカ、近寄るな」
「うさぎキライなの?」

 メイファは小首を傾げます。
 世の中には猫嫌いや犬嫌いがいるんだからうさぎ嫌いがいたっておかしくはありません。
 おかしくはないけれど、初めての経験です。
 メイファはじっと少年を見詰めていました。

「ねぇねぇ。おにーちゃんは幸せの魔法いる?」

「それだけはやめてくださいぃぃぃ!」
「それだけはやめるにゃぁぁぁぁぁ!」

 レスとミルキーが全力でメイファを押さえ込みます。
 わけもわからずきょとんとしている少女の顔を、少年が苦笑しながら見ていました。

「カイワレの代わりにこれあげますから! ほら!」

 そしてメイファはレスから歩行雑草の先っちょを貰いました。
 たっぷりの野菜と肉。
 久しぶりのたんぱく質をゆっくりゆっくり味わいました。


* * * * *


「よし。メイ、頼むぞ!」

 猛火を纏う猪と対峙した珊瑚が声を張り上げます。
 手にした鞭は猪の四肢に巻きついて自由を奪っています。

「まかせてなのよ!」

 メイファは目を閉じて手の中に光の玉をイメージします。
 魔法はイメージから。
 イメージは想像の世界から現実へ。
 立てた人差し指に光が宿ります。
 半眼になって指先をゆっくりと回転させ――

「!」

 紅い目を大きく見開きました。
 途端に指先の光も消失します。

「ごめんなさい! メイはようじをおもいだしたのよ!」
「ちょ、どこへ行くんだ!」
「おはなばたけなのよー!」

 脂汗を額に滲ませ、切羽詰った様子でメイファは一目散に去って行きました。

「きょーすけのおばかー! おにー! あくまー! ひとでなしー!!」

 姿は見えないのにメイファの呪詛だけがいつまでも聞こえてきます。

「やっぱ腹壊したか。食べなくてよかった」

 メイファの悪態を聞いて恭介が一人ごちました。
 意地汚さではメイファと張るか、それ以上の食欲魔人である恭介があっさり食料を手放すはずがありません。
 メイファにあげた肉。
 あれは賞味期限ギリギリどころかちょっとばかりぶっちぎっちゃっていたミミズ肉だったのです。

 それからしばらくの間メイファは腹痛に悩み続け、回復してからも恭介とは絶対口を聞こうとはしませんでした。



『○がつ×にち

 きょーすけのばか
 ばかばかばかばか
 ばかばかばかばか
 ぜったいなかす 』

(メイファの日記より抜粋)

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