11日目

 天鵞絨の空に月が浮かぶ。ひっそりとした地表に冷たい銀の光を投げかける、無慈悲な夜の女王。今夜は堂々とした真円の姿ではなく、優美な曲線の上限の月だ。
 遺跡の入口は、昼間の喧騒が嘘のようにひっそりとしている。これから潜りこもうという酔狂な冒険者もおらず、遺跡外で待機している者は皆眠りに就く。幾人か野営の番として立っているが、周囲の警戒に耳を澄ませているので互いの会話はない。
 気配を探りつつメイはそっと寝床から抜け出した。焚き火に照らし出された横顔にはいつもの明るい表情はない。どこに行くのかと見張りの一人に咎められ、おトイレにいくのと慌てて顔を繕う。幼い笑顔に対して見張りはしかつめらしく肯き、早く帰ってこいよとメイを送り出す。
 息をつく。一人、キャンプから離れた闇の中で二つの包みを解いた。
 一つは鞘に収まった一振りの日本刀。もう一つはそれよりも小さな一本の笏。
 打刀は普通のそれに比べれば幾分小振りだった。長年使い込んだ柄は磨耗して柄糸が擦り切れかかっている。時間のある時にでも巻き直さなければならない。冒険者に溢れるこの島なら武器の修繕用品もすぐ調達できるはずだ。
 だが、そんなことしている隙があるだろうか。
 くすんだ蘇芳色の鞘から刀を引き抜いた。垂直に立てて検分する。もう長い間抜いていなかった気がするのに、刀は錆一つ浮かず綺麗なままだった。曇りのない刀身が月の光を反射する。
 柄はメイの小さな手にしっくりと馴染んだ。馴染まないほうがおかしい。小柄な身体に合わせて特注で作った刀なのだ。
 笏を腰帯に差し、メイは両手で刀を構えた。右足を引き、顔は正面を向いたまま上体を右に。刀を握る手を頭上にまで上げ、刃が地と水平になるように持つ。腰を落として目を見開く。
 静かに鼻から息を吸い、止める。丹田、へその少し下に意識を置く。じわりと湯が滲み出るように臓腑が熱くなり、やがて身体全体に浸透していく。脳天から手指、爪先まで余すところなく温まったところで短く鋭く息を吐いた。同時に刀を振り下ろす。
 風を斬る。
「いち」
 袈裟懸けに下ろされた切っ先が見えない敵を切り伏せる。
「に」
 低く落とした姿勢のまま、地面のわずか上を払う。
「さん」
 払った勢いのまま舞うようにターンして身体を起こし、逆袈裟に切り上げる。
 「し」と言いかけた唇と手が止まった。耳が揺れる。メイは咄嗟に刀を捨てた。左に横飛びしながら腰に刺した笏を抜く。一尺半にわずかに足りないくらいのそれを一旦顔の正面に持ってきてから、弧を描くように振った。
 笏が開き、銀の薄片が半円の盤を作る。刀ほどの鋭さはないものの、やはり月光を受けて輝く。薄片はメイの手元で一つにまとまっていた。
 扇だ。それは涼を取るための道具でもなければ、舞うための道具でもない。メイが握る要とは反対側、薄い金属片の先端はさらに薄く研ぎ澄まされ、鋭利な刃となっていた。
 扇の表面をヒステリックな音が打ち付ける。革の鞭だ。それ自体には殺傷力はないが、叩きつける速度次第では剣よりも鋭い刃となる。
 メイは手首を返して鞭を外側にいなす。力なく垂れるかと思った先端は、しゅるりと蛇の鳴き声のような音とともに元の方角――暗い森の茂みへと吸い込まれていく。メイは扇を斜に構えたまま、鞭が消えた先を睨みつけていた。兎と同じ長い耳は鞭の音だけではなく、それを繰り出した人間が動く微かな音も捉えていた。いっぱいに開いた瞳孔は闇を凝視する。
 茂みが一際大きくざわめいた。
「メイ……?」
 白い月光がその姿を浮き上がらせる。濃緑の外套を身に纏う長身の男が顔を出した。緊張に引き締まった顔がふと安堵に緩む。メイも肩の力を抜いた。扇を閉じ、男の目を避けるように背に回す。よりによって一番見られたくない相手だった。
 男――メイの仲間である珊瑚は、手にした鞭をまとめて腰に吊るした。
「そこで何をしている」
 厳しい声が飛ぶ。珊瑚の視線は地に落ちた刀に注がれていた。真夜中に野営地を抜け出した挙句、明かりのない森の中にいたとあっては不審に思わないほうがおかしい。
 メイは慌てて刀を足で自分のところまで寄せ、どもりながら言葉を探す。珊瑚の顔を見られず、視線をわずかに下に逸らした。
「あのね、あのね、さっきそこにおちてたの。ひろったのよ」
「メイファ。見てたぞ」
 冷えた言葉を投げかけられてメイは首を竦めた。
「う……」
「初めて手にした武器を振るうにしては動きが違う。そこまで滑らかに扱えるならそれはお前の剣だろう。そしてその扇。鉄扇の使い方を知っている奴なんてそういない」
 刀を振るう姿。そして珊瑚の鞭をかわすために鉄扇を振るった姿。これ以上の証拠はどこにもない。お前は二つの武器の扱いに長けている。珊瑚は言外にそう言っていた。
 珊瑚は腕を組んでメイを見下ろしている。薄暗い闇の中で顔に影がかかり、いつもの優しい目が見えなくて怖い。説明を求める無言の圧力にいまだ幼いメイが耐えられるはずもなかった。
「メイのほしょーにんをしてくれてるおじちゃんにカタナさんおくってもらったの。おじちゃんとかべすとかつよいの。でもメイはやくたたずなの。まほうはつかえるようになったけど、それでもおじちゃんたちみたいにいっぱいてきさんやっつけられなくって、めーわくかけてばっかりなんだもん。だからちょっとでもやくにたちたいからカタナさんおくってもらったの」
 喋り始めたら止まらなくなった。考えていることがまとまらなかったけれど、思い浮かぶ言葉を片端から口にした。小さな胸に秘めていた激情が溢れ出てくる。つたない言葉で一気にそこまでまくし立て、一息つく。
「そういえば武器を置いてきたと言ってたな」
「うん。パーティーにはぶきもちこんじゃダメなの」
 最初の頃、メイはこの島で行われている催しがパーティーだと勘違いしていた。しかも誰に教えられたのか、人が集まるパーティーでは物騒な物を持ち込んではいけないという社会常識を持っていた。
 勘違いしたために敵と戦う術を持っていなかったが、何の偶然か魔法の才能に開花したのでここまでどうにか凌いでいた。
「まあそれはもう済んだ話だ。これから刀と鉄扇が使えるならば結構じゃないか」
 でも、とメイは言い淀む。
「いまはカタナさんもおうぎさんもつかうのがこわいの」
 うなだれて刀と鉄扇を握り締める。長年使ってきたはずの武器が何故か今はずっしりと重い。持つ手が震え、声も震え、それでもメイは搾り出すように言った。
「カタナさんとか、はものでいきもの切ると血がいっぱい出るの。いっぱい出ちゃうとしんじゃうの……その人はもううごかなくなるの。それがこわいの。そーゆーのになれちゃうメイがイヤなの」
 刀は珊瑚の鞭よりも恭介の鉄パイプよりももっと純粋な武器だ。鞭は叩くためだけにあるのではない。鉄パイプも殴るためにだけにあるのではない。それぞれが武器であること以外の用途を持つ道具だ。だが、刀はどうだろう。生物を殺めることだけを目的として作られた凶器――その刃を朱に染めるメイを見たら二人は軽蔑するだろうか。血溜まりと倒れ伏した死体の只中に佇立する白く幼い兎の少女。そんな自分の姿が脳裡をひるがえる。
 それは決して想像ではない。過去のメイであり、未来のメイだ。そう遠くない過去、生きるために人に言えない仕事をした時の自分の姿。そしてこれから先、また生きるために力に訴えるであろう自分の姿なのだ。
 この島では決して敵を殺すことはしない。遺跡に棲む異形たちも冒険者たちも一見血に飢えているようだが悪意はなかった。戦ったとしても最終的に命を奪うまでには至っていない。それぞれ目的を持って行動しており、互いに戦い合うにも理由があった。自分が生きるためにやむなく動植物を殺め、食料とすることはあっても、理由無しに無軌道で無差別な殺戮はしない。
 そうやって活かしながら敵を倒すことを繰り返すうち、メイは今までの自分がなんだったのか考えるようになっていた。
「いきものをころすのはわるいこなの。わるいこはきらわれるのよ。おじちゃんはそんなメイのことけーべつするよね」
 訴える目に涙が滲む。正面にいるはずの珊瑚の顔がよく見えない。零れ落ちそうな涙を拭って珊瑚の言葉を待った。いつもの冷静な声が厳しい言葉を飛ばしてくるだろう。罵声か怒号か嫌悪か。飛んでくる言葉を覚悟して強く両目を閉じた。
 仲間にだけは嫌われたくなかったけれど、刀を見られてしまった以上はどうにもならない。絶対に嫌われる。
「軽蔑なんかしないよ」
 珊瑚は耳ごとメイの頭をくしゃりと撫でた。驚いてメイは二度瞬く。戦い慣れた男の大きな手は、見た目に反して優しく動く。
「メイが何者であろうが、私たちにとっては小さくて馬鹿で手のかかる子ウサギだ」
 話しているうちにだいぶ時が経っていたようで、月はいつしか天頂に到達していた。影になっていた青年の顔がはっきり見える。整った顔は柔らかく微笑んでいた。戦闘中によく見る相手を魅了せんとする笑みではない。心から幼子を気遣う父親のそれだ。
 メイは重い刀を捨てた。鉄扇も捨てた。長年の相棒たちが夜露に濡れたが構わない。腕が軽くなるとふわりと心も軽くなる。
「おじちゃん」
 えへへと珊瑚の首に飛びついて屈託無く笑った。
「ありがとうなのよー」
「私だって人のことは言えないんだよ。鬼の血に理性が押し切られれば、本能のままに暴れまくるだろうからな」
「おじちゃん、おにさんなの? 角ないよ?」
 遠慮なしに珊瑚の髪の中を探り出した幼い腕をつかみ、軽い身体を持ち上げる。珊瑚はメイを肩に載せた。
「ねーねー、角ないよー」
 肩車してもらったのをいいことにメイは珊瑚の頭を引っ掻き回す。整えた髪が鳥の巣のように変化していくが、珊瑚は諦め切って何も言わない。後は野営地に戻って寝るばかりだからあえて直さないのだろう。
 アフロ一歩手前のぼさぼさ頭に少女は顔を伏せた。
「……メイがカタナさんこわいわけないのよ。メイはつよいんだもん。メイがカタナさんでたたかったらおじちゃんときょーすけの分もぜーんぶとっちゃうんだもんね。ふたりのためにわざわざこーほーしえんしてあげてるのよー」
 ぼそぼそと髪の中に呟く。
「おじちゃん、いいひとすぎるのよ」
 ほくそ笑むメイの声は小さすぎて男の耳には届いていなかった。珊瑚は明日の朝食は何にするのかとのんびり問いかけてくる。考える間もなくメイは「おにく」と即答した。



『○がつ×にち

 ぱぱからぶきとどいた
 でもつかわないの
 けんのめいはさいきょーなの
 べすよりもつおいの      』

(メイファの日記より抜粋)

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