8日目

※この物語はフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係ありません。


「今日は富士登山をする」
 珊瑚さんが突然そんなことを言い出しました。珊瑚さんお手製の野菜サンドウィッチを食べていたメイは、とりあえずゆっくり全部食べてから手を挙げました。
「はい、しつもんなの。ふじとざんってなあに?」
「富士山に登ることだ。私と司郎君のいた国では、富士山の頂上でご来光を拝むという習慣があるんだ」
 いつの間にか珊瑚さんは重装備に身を包んでいました。外套こそ愛用の緑コートですが、中に分厚いセーターを着込み、ブーツも心なしかいつもよりしっかりした物を履いています。背中には大きなバックパックを背負い、スキーのストックのような物まで持っています。
「ごらいこう?」
「うさぎってバッカでー。ご来光も知らないんだ」
 珊瑚さんと同様、やはり重装備の恭介君がメイをからかいます。
「し、しってるもん! ちょっとかくにんしよーとおもっただけよっ」
 恭介君には負けじと言い返しますが、もちろん頭の中身も小さいメイが知ってるはずありません。「ごらいこーってなんだろう」と思いながら準備を整えます。お気に入りのニンジン柄のリュックにお弁当と水筒を詰めこみ、空いたスペースにはおやつを詰めこみます。
「おじちゃーん。バナナはおやつにはいるんですかー」
「バナナはおやつでもご飯でもないから駄目だ。バナナの代わりにこれを持っていきなさい」
 そう言って珊瑚さんが差し出したのは大きなナスでした。しっかり日の光を浴び、皮の色が黒になるまで成熟した立派なナスです。
「ナスさんは生で食べられないの」
「うさぎだったらそれくらい食べてみろ」
 恭介君が問答無用でメイのリュックにナスを押し込みます。ナスは大きすぎて収まりきらず、半開きのチャックから紫色のヘタがはみ出してしまいました。
「よし、準備完了。しゅっぱーつ!」
 いつの間にか恭介君が先に立ち、勝手に歩いていきます。足が短いメイは小走りにその後を追っていましたが、すぐに引き離されてしまいます。見かねた珊瑚さんが抱っこしてくれました。
「ふじさんてどこにあるの?」
 急にメイは心配になりました。どこかに行くときはいつも珊瑚さんが連れて行ってくれます。恭介君とメイはその後をついていくだけで、らくちんです。珊瑚さんは立派な大人だから安心できるのです。だけど、今日は恭介君が先に進んでいます。きちんと目的地の富士山につけるのかどうか、そもそも恭介君は場所をちゃんと知っているのでしょうか。毎日のようにケンカしてばかりの恭介君を、メイは一ミリも信用していませんでした。
「心配しなくても大丈夫だ。そこの二丁目の四つ角を曲がったところだ」
 珊瑚さんの言葉と同時に森が途切れました。三人は一軒家とコンクリート塀と電柱が並ぶ住宅街の中にいました。電柱には『二丁目』と住所が書かれていましたが、お子様のメイには読めませんでした。
 恭介君が小さな交差点を右に曲がりました。メイと珊瑚さんも続きます。そしてそこにはなんと、大きな大きな富士山がそびえたっていました。メイはぽかんと口をあけたまま見上げていました。いつぞや見たなんとかタワーなんて目じゃありません。ずっとぐっと大きくて、てっぺんは雲の中に隠れています。
「富士山到着ー。さ、こっからが本番だ」
 恭介君はすたすたと富士山の切り立った崖の前に立ち、岩肌を手でまさぐっていました。
「きょーすけなにしてるの? ふじさんのぼるんじゃないの?」
 問うメイに珊瑚さんは指を一本立て、シーと黙っているように言いました。
 珊瑚さんとメイが見守る中、恭介君は何かを見つけたようでした。岩の間に手を入れています。すると、崖の一部がぱかりと外れ、小さな四角いボタンが現われました。恭介君はいつもの軽いノリでボタンを押します。

 ぴんぽーん

 チャイム音がご近所一帯に響き渡ります。
「はーい、どなたー?」
 場所はわからないけれど、とにかくどこかにあるのであろうスピーカーから野太い声が軽快な口調で応えました。遠くからどすどすという重い足音が近付いてきます。それを聞いた恭介君と珊瑚さんは視線を交わします。そして二人はダッシュで――珊瑚さんはメイを抱き上げたままでした――ご近所の塀の内側に隠れます。
「どちら様?」
 崖の一部が玄関ドアのように開きました。むしろ玄関ドアでした。中から普通見るよりも二回りも大きな筋骨隆々の歩行雑草が顔を出しました。歩行雑草はつっかけサンダルにギンガムチェックのかわいらしいエプロンと、主婦然とした格好をしています。
「あら、誰もいないわね。いたずらかしら」
 辺りを見回して誰もいないとわかるとドアを閉めて戻って行きました。恭介君と珊瑚さんはそれを確認すると拳を握って親指を立てました。成功を祝う男達の姿にメイは戸惑うばかりです。
 そう、これは。
 いわゆるひとつのピンポンダッシュというやつです。
「ふじとざんとなにかかんけーあるの?」
 わけがわからないといった風にメイが聞くと、恭介君は興奮した様子で答えます。
「関係大アリだよ! これも大事な儀式の一つなんだ!」
 やっぱりよくわかりません。
 そんなピンポンダッシュがあったりなかったりしてとにかく三人は富士山と呼ばれている物の内部に侵入しました。字数の都合上省略しますが、ワイヤーフレームなダンジョンだったりヤマタノオロチが待ち構えていたりジブラルタル海峡があったり伝説の武器を見つけたりしんじるこころをひきこもりにあげたら馬車もらったり賢者と忍者に転職できるようになったりなんか色々あったっぽいですが、三人は無事、一番奥の祭壇に辿り着きました。
『ふふふ よくここまでたどりついたな よにんのゆうしゃたちよ ここがおまえたちのはかばだ』
 マグマの海の中にぽっかりと島が浮かんでいます。岩で設えた祭壇の上から巨大な鷹がぎらりと光る目で三人を見下ろしていました。
「俺達三人なんだけどー」
 マグマの濁流音に負けずに恭介君が声を張り上げますが、鷹は、
『ふふふ よくここまでたどりついたな よにんのゆうしゃたちよ ここがおまえたちのはかばだ』
 同じ台詞を何度も何度も繰り返します。
「おっちゃん、あれ壊れてる」
「あれしか言えないんだよ。最大でも一メガくらいしかないんだろうから許してやりなさい」
 鷹はこれまた大きな赤いオーブの上に止まっていました。メイはさっきからそれが気になって仕方ありません。どこかで見たような気がするのです。珊瑚さんが「さっさと倒して帰るぞ」と言っても聞こえないくらい、無い頭を絞って考えます。
「あ」
 思い出してメイは懐をまさぐりました。いつも大事にしまっているはずのものがありません。
「あれ、メイの魔石さん」
「「はぁ!?」」
 メイのリュックから勝手にナスを取り出し、剣よろしく構えていた珊瑚さんと恭介君が素っ頓狂な声をあげました。ついでに恭介君の背中のチャックからにゅるりと這い出したピンクのうさぎのぬいぐるみことえりざべすもナスを持っていました。
「メイの魔石さんがおっきくなったみたい」
 そう、あの鮮やかな血の色、あのツヤ、そして中央に濁ったような黒い色はまさしくメイ愛用の魔石です。この島にきてから白猫のぬいぐるみさんに貰った物です。
「じゃあうさぎがどうにかしろよ。ペットの責任は飼い主の責任だぞ!」
「メイのせいじゃないもん! こどもだっていつかはおとなになっておやばなれするのよ!」
「石が成長するか」と恭介君がメイの頭をナスで叩きました。それに追随するように高笑いしながらべすも叩いてきました。ダブルで叩かれるなんて散々です。そもそもナスが武器になるなんて考えていること自体おかしいのです。
「どうしてナスなのよ」
「ボスの弱点なんだ。古文書にもそう書いてある」
 珊瑚さんが懐から取り出してみせた本は、超有名出版社の攻略本でした。凶器にもなりそうなくらい背が分厚い本でした。
「とにかくやるしかない。二人とも準備はいいか?」
「ま、まってなのー」
 メイはもたもたとリュックからナスを出そうとしますが、お菓子の中に埋もれていて中々見つかりません。そんなメイを置いて恭介君が先陣を切って走ります。
「あの鷹倒したら食べてもいいんだよねっ!?」
 メイは見てしまいました。鷹が飛び立ったと思ったら、メイの魔石に横一直線に亀裂が入りました。それはみるみるうちに大きくなり、やがてぱっくりと二つに割れると、中からサメのような細かく鋭い歯と赤い口腔が現われました。
 ナスを振りかぶって突っ込んだ恭介君と珊瑚さんは急に止まれません。そのまま吸い込まれるように魔石の口の中へ突入し、飲み込まれてしまいました。マグマが溢れる音に混じり、固い物を咀嚼する音が聞こえてきます。魔石はごくりと飲み込むと、にやりと口を曲げてメイのほうを向きました。目がついていないはずなのに、猛禽類の鋭い視線がメイを射抜いていました。


「――という夢を見たうさ(・ω・)」
「夢オチかよ!」
 のけぞった恭介の背中から桃色の腕が伸びてきた。両腕は木の椀を抱えているから三本目の腕だ。指がないピンクの手が目の前の兎耳と兎耳の間を狙ってチョップした。メイファはその腕を掴もうと手を伸ばすものの、一足遅く腕は恭介の背中に収納されてしまった。未練がましく腕があったあたりを眺めていたが、すぐに空腹を思い出して座り直す。
「それってむしろ悪夢じゃないのか?」
「別に怖くなかったよー」
 幼いメイファは嬉々として雑煮をすすっていた。恭介はそんな娘をうんざりした顔で見つつ、手元の雑煮をどうしようかと少し考え、結局口に入れる。
「恐くはないけどな、そんな話をしながらよく飯が食えるな」
 呆れたような顔の珊瑚にメイファは手にした塗椀を差し出した。
「夢は夢だもん。おじちゃんおかわりー」
 電波としか形容できない話をしつつ、これでもう三杯目だ。草多めで餅少なめの雑煮ですら舌鼓を打つ少女は、つくづく幸せな脳味噌の持ち主ではないかと思う。
「初夢の話しようなんて言い出したの誰だよ」
「恭介なのよ」
 メイファはでろりと椀から掬いだした謎の青菜を頬張った。割座した膝の上には掌大の紅い宝石が一つ、天井の割れ目から差し込む光を反射している。
「その魔石、呪われてんじゃないか?」
 膝の上のそれを恭介が箸でつつく。気のせいか、石がわずかに震えたように見えた。



『○月×日

 おしょーがつー
 おいしいごはんー
 きょねんもことしもらいねんも
 よろしくおねがいするうさ   』

(メイファの日記より抜粋)

戻る