7日目

 足音が軽快なリズムを刻む。やがてそれは小走りになり、一際大きな音ともに止まる。
「三つ目ゲット!」
 黒地に白のラインが入ったブレザーの少年が嬉しそうに、ポンと足を揃えて地面を踏む。革靴の下には石床に大きく描かれた魔法陣があった。遺跡の入口で見たものとは少し模様が異なるが、同じ類の物だろう。遺跡の外でこの模様を思い描けば、再びここにやってくることができるはずだ。
 少年の後に続き、チャイナ服を着た兎耳の少女も魔法陣を踏む。その足取りは少年に対してどことなく力がない。小さな足が陣の端を踏んで止まり、膝を抱えてしゃがみこむ。そんな様子に違和感を覚えて少年は少女の顔を覗きこんだ。
「うさぎどうした? 元気ないぞ」
 いつもなら邪魔になるくらい少年に絡んでくる少女が今日はおとなしい。昨日は寝るまで少年とどちらが一番に魔法陣を踏むかで揉めていた。あの無駄と思われるくらいののエネルギーはどこへ行ったのだろう。
 あまりにも口数が少ない様が気持ち悪い。普段はやかましくて嫌になるが、これほど静かでいられると調子が狂う。
 少年はいつものように頭を叩いてやろうと手を挙げたが、思い直してまた顔を覗きこむ。幼い顔はどことなく青ざめ、うなだれていた。
「拾い食いでもした?」
 左右に首を振る仕草にも力がない。
 「あのね」と少女が少年を見上げた。赤く大きな瞳がうるんで零れ落ちそうだ。前にもこんな顔を見たことがある。
 少年は及び腰になった。この前はぐれた時のことを思い出してしまったのだ。
 あの時、少女は頭が割れんばかりの大声で泣いて、人に飛びついてきた。幸いにも飛びつかれたのは少年ではなかったものの、辟易したことには代わりない。
 だから子供は嫌なんだ。あんなやかましいのはもう二度とごめんだ、と背を向けた。
 その背に――身長差があるので正確には膝だが――少女が抱きついてきた。
「くっついてくんなよバカ! そういうのは俺じゃなくておっちゃんにやれ!」
 ぐいっと少女の頭を膝から引き剥がしにかかる。少女は、小さな身体のどこにそんな力があるのかと聞きたくなるくらい強固に少年の膝に張りついていた。
「だってだって恭介しかいないもん! おじちゃんには彼女さんが彼女さんが」
 少女の涙ぐむ声に少年――恭介の動きが止まる。
「彼女ってあれのこと?」
 うんざりした顔で恭介は先行する男を指差した。恭介より頭半分ほど背の高い青年だ。深緑のロングコートを羽織った姿は実に様になり、クールな目付きには大人の貫禄を感じる。
 ただ、首に巻きついている物を除けば。
 青年の襟元にマフラーよろしく巻きついたそれは忙しなく動かしている。無数の節を持つ長い身体と無数の足を持つ姿には、誰しも生理的嫌悪感を覚えずにはいられないだろう。学名ではScolopendromorpha、一般的には大百足と呼ばれている類の生物である。
「彼女というよりは、ただ懐いてきただけの気持ち悪い虫だよ」
「彼女だよ! メイ見たもん。あの人、おじちゃんにメロメロになっておめめがハートマークになってるの見たもん!」
――どこに目があるのかお前わかるのかよ。
 恭介は心でつっこむ。連なっている丸い胴体の先端、頭部と思しきところには触覚が一対ついているだけだ。間違っても人間のような目などない。
「おっちゃんが変なのにモテモテなのは認めるけどさぁ」
 今より少し前のことだ。慎重に遺跡の中を進む三人に、二匹の毒蠍と一匹の毒百足が襲いかかってきた。それも特大サイズの。
 だが、そんなものを恐れる三人ではない。あっさりと巨大な虫たちを蹴散らし、さあ先に進むぞと歩き出したところでなんと虫たちが起き上がった。しかも三匹とも青年にすり寄ってきたのだ。
 その光景の気持ち悪さに恭介とメイは絶句していた。虫が苦手とは言わないけれど、巨大サイズの節足動物のどこがかわいいものか。
 そんな二人に対し、困ったような顔はしていたけれど、青年はどこまでも落ち着いていた。そしてなんとも趣味の悪いことに、その内の一匹を手なずけてしまった。
 ペットなのか手下なのか判別がつきにくいところだが、以来、まるで護衛だと言わんばかりに百足は青年から片時も離れないでいた。
 見た目にも奇妙な四人パーティーの成立である。
「あんな虫が欲しいの?」
「いらない」
 きっぱりと少女が答える。
「虫はいらないけど彼女さん欲しい」
「うさぎって頭わいてんの? 彼女の意味わかってる?」
 恭介は少女の耳を掴んだ。見た目以上にやわらかくふかふかしている。その触り心地の良さにしばらくふにふにと指先で弄んでいたが、ふとメイが目を細めているのに気が付いた。触られるのがそれなりに気持ちいいようだ。
 これではいけないと恭介は左右に引っ張るだけ引っ張って、離す。振り子よろしく揺れる耳を見て、なぜか物理実験室を思い出した。
 そうやって幾度か遊んでいたら、耳で手の甲を叩かれた。
「おじちゃんには虫さんがいて、恭介にはべすがいるの。いないのメイだけなんだもん。メイだけ一人ぼっちなの」
 少女――メイは不貞腐れた顔で恭介を見ている。メイは彼女も虫を欲しいわけではない。恭介と青年にあって自分にはない、相棒と呼べる存在が欲しいだけなのだ。
「しょうがないだろ。うさぎにはそれだけの魅力ないんだから。つるぺたのくせに悩殺なんてできるもんか」
 恭介はメイの額を突く。眉間の間の少し上を狙い、何度も何度も同じ場所を突っつく。
「できなくないもん!」
 突かれながらも夢中になって反論する瞳にはもう涙はない。いつものメイだ。
「元気があればなんでもできるってアゴのエライ人も言ってたもん!」
「アゴのエライ人って誰だよ」
 時々メイはわけのわからないことを言う。
「とにかく、お前みたいなつるぺたバカうさぎにはできないの!」
 だから離れろと再びメイを引き剥がそうと手をかける。恭介の手に押されてメイの顔が変な風に歪む。ありえないくらい不細工な顔になってもメイは諦めずに恭介にすがり、挙句の果てに、
「それじゃ、べすの出し方教えて!」
 そんなことを言い出した。
「出し方ぁ?」
 恭介は背後にわずかに目をやる。もちろんそこには何もいない。しかし、何かがいそうな気配はしている。この気配の存在こそが彼の武器であり、メイがべすと呼ぶものだ。
 普段はそのべすと呼ばれる物を、この次元とは異なる位相に収納している。しかし戦闘中にでひとたび呼べば姿を現わし、一帯の敵を薙ぎ倒してまた消えていく。これは一般的な召喚術などの魔法とは異なる力だ。心の力が強い一部の人間だけが持つ能力だと言われている。
 素質さえあれば誰にでもこの特殊な召喚術は行使できた。だが果たしてメイに素質があるのかどうか。
 恭介は腕を組んで少し考え、
「出し方なんて人に習うもんじゃないよ。教えるのもめんどくさいし、俺の真似してフィーリングでやってみれば?」
 言って、自分の眼前に手をかざした。腹に力を込めて召喚ワードを叫ぶ。ちなみにこの召喚ワードはいわゆるパクリであるため、ここでの言及は控えさせていただく。
 青いオーラが恭介を包み、背後にゆらりと大きな影が現われた。影は徐々に輪郭を明確にし、姿を浮き上がらせる。
 それはあまりにも巨大――巨大な桃色のウサギだった。メイの二倍はあるだろうか。垂れた耳と腹の縫い目が、それが生物でないことを示している。手抜きとしか思えない気の抜けた顔に、見る人は一瞬戦意を喪失する。
 だが、その見た目に反し、まとう気は実に禍々しい。魔王、邪神、外道、死神。そんな言葉が頭をよぎる。
 恭介はこれにえりざべすと名前を付けていた。べすは柔らかな手でメイの襟首をつかみ、主――恭介から剥がして宙吊りにする。
「こうやんの。やってみ」
 宙吊りにされたままメイは神妙に頷き、恭介の真似をして眼前に手をかざす。そして甲高い声で召喚ワードを叫んだ。腹から搾り出した声が足元の雑草をわずかに揺らす。
 二人と一匹はその時を待った。

「何も出ないな」
「何も出ないの」

 力いっぱい叫んだのに、あたりは静かだった。べすの邪神的オーラだけが地に淀み、少しずつ広がっている。
 メイが大きく息を吸った。そして、再びありったけの声で叫んだ。あまりにも馬鹿でかい声に恭介両手で耳を押さえ、べすに頭を叩かせた。
「おい、さっきから何やってるんだ。うるさいぞ」
 青年が二人の元に寄ってきた。襟に巻きついた百足がかさかさと足を動かす。見た目にも邪魔そうで、かつ気色悪い。
「「あ」」
 振り向いた恭介とメイが同時に発声した。
 その声とともに、百足もろとも青年の姿が消えた。いや、消えたのではない。数学的なまでに美しい弧を描いて空を飛んでいく。それを見送る恭介とメイ、べす。どことなく生温かい笑顔なのは気のせいか。
 そして三人の間にもう一つ、身震いする影があった。
「そうかー、うさぎのペ○ソナはクダンだったのかー」
 牛の身体に人間の顔を持つ奇妙な動物が、いましがた青年を弾き飛ばした角を誇らしげに天へと突き上げていた。



『○月×日

 おじちゃんかのじおできた
 べすのだしかたおぼえた
 くえないうしでた
 おじちゃんとんでった  』

(メイファの日記より抜粋)

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