6日目

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。


 ――視野確保。視界良好。敵影無し。
「副長、それは何だ」
 前を歩いていた班長が振り返り、自分の手元を覗き込んできた。自分は素直にそれを班長に見せた。鈍い鉄色の小型の箱には小さなつまみがついているだけだ。つまみの反対側からは黒い線が延びていて、自分の顎に張り付いた小さなパッチに繋がっている。
「新しい録音機です。昨日支給されたので、試験も兼ねて哨戒記録を録ってみようと思った次第であります」
 骨伝道のマイクが自分の声を拾い、箱に記録していく。今の声も録音されたはずだ。つまみには赤い発光ダイオードが仕込まれており、これが点灯している間は音を録り続ける。調達班の説明によるとこの箱の耐久性は車両装甲並み、つまりちょっとやそっとの銃撃にはびくともしないとのことだ。
「任務時における録音機器の有用性を示したいと情報部からの通達もありました」
「まあ適当にやれ」
 機器の類が苦手な班長は興味なさそうに言って視線を前方に戻す。我々の会話を聞きながら休んでいたた後方二人、一等兵と二等兵はだらけていた姿勢を正してついてくる。二人は隙を見ては休みたがる。自分と班長の会話中は休憩時間ではないと何度言ってもわからないようだ。
 我々はこの広大な遺跡に散らばる補給基地を守る警邏部隊の一班である。先行する男は我らが班長、階級は伍長だ。自分は班長に次ぐ立場にある副長であり、階級は上等兵。残りの二人はそれぞれ一等兵と二等兵という編成になっている。現在、この四人で基地周辺を哨戒中だ。あと一時間ほどで任務は終わり、交替班がやってくる予定となっている。それまで何もなければいいと祈りながら我々は周囲を警戒しながら、密林の中を静かに進んでいた。
 というのもここしばらく、遺跡の内部が騒がしい。偵察部隊からの情報によると、明らかに我々とは生態を異なる不審生物が大量に流入し、内部を荒らしまわっているとのことだ。それが伝説に謳われる《ニンゲン》という生物ではないかと訝しむ声もある。《ニンゲン》は我が種族の平和を破り、争いをもたらし、混沌たる戦乱の末に全ての生物を殲滅すると言われている。つまり黙示録の生物であり、我が種族の天敵なのである。
 幸いにして各地の基地はまだ発見されておらず、被害報告も聞いていない。しかし、いつ奴らが牙を剥くかは予測できない。軍首脳部の判断により、各基地は通常よりも警備を厚くし、いつでも戦いに応じられるよう臨戦体勢をとっている。
 それだけに、我が班の哨戒任務は非常に重要であるといえる。
 丈の高い草をかき分けながら我々は行進していく。録音機は草葉が擦れ合う音と足音だけを記録していく。後で聞き直せばさぞつまらないことだろう。
 このまま平和に任務が終わればいい。自分は懐に忍ばせた写真を、服の上から押さえつける。取り出さずとも、写っているものは易々と脳裡に描ける。故郷にいるたった一人の幼馴染の姿だ。両親共に早くに亡くし、天涯孤独となった自分を支えてくれた大切な女性だ。次の休暇には飛んで帰り、その白魚のような指に誓いの銀輪をはめてやるつもりでいる。だからこそ自分は必ず生きなければならない。今ここで争いなど起こってはいけないのだ。
 前を歩いていた班長の足がぴたりと止まった。前触れもなく突然のことだったので、自分は班長の背に鼻をぶつけてしまった。
「班ちょ……」
「前方、二時の方向に敵影発見」
 息を飲み、押し殺した声で班長の言葉を繰り返した。もちろん記録のためだ。後方二人の気配が落ち着きないものに変わる。特に訓練校を卒業してすぐここに配属になった二等兵は、初めての敵の姿にやや怯えているようだった。班長は手真似で姿勢を低くするように支持し、自らもまた地面にひざまづいた。我々の頭を優に超える草間からひょろ長い生物が四体、目視できた。自分はすぐさまそれらの特徴を小声で機械に記録する。特別に長く大きなサイズのものが二体、中くらいが一体、小さめが一体。対象は二本足で直立歩行をしている。姿はインプの類に似てないこともない。四体で群れをつくり、徒歩で移動している。進行速度は決して速くはない。よく見れば、小さい一体に他の三体が合わせているようだ。進行方向は我々の基地とはまったく反対の方角である。
『どうしますか』
 ブロックサインで班長に尋ねる。班長は自分の手をちらりと横目で見てブロックサインで返す。
『このままやりすごす』
 あちらが手を出さなければこちらも手を出さない。さすがは班長、賢明な判断だ。どこの誰に訊いても同じ答えを最良として返すだろう。何しろ我々は戦争がしたいのではない。極力避け、できることならばなくしてしまいたいのだ。
 引き続き草むらに身を沈め、四体の挙動を見守る。奴らは、聞いたこともない不可思議な言語で会話を交わしているようだ。大きい二体は非常に落ち着いているが、小さな一体は身振り手振りが激しい。意志疎通、あるいは言語に不自由があり、不足分をジェスチャーで補っているのだろうか。
 しばらくそれが続いたが、ふと中サイズが大サイズのうち一体に手をかけた。すると、大サイズが小サイズの頭部と思われる部分に二度、打撃を食らわせた。それを見た二等兵が低くうめき、自分と一等兵の二人で思わず彼の口を押さえた。
 打撃行動には大変驚かされた。なんと暴力的な生物なのだ! 我々の体構造では振り下ろすような打撃行動はあまり意味を成さないが、奴らには覿面に効くらしい。その証拠に小サイズは頭部をおさえてうずくまっている。全く動かない。大サイズの一体はそれが有効であることを充分に知った上で、同族への暴力行為に及んだのだ。
「一人離れました! 進行方向は八時の方角!」
 小サイズが群れから飛び出し、単独行動を開始した。「何!?」と班長が狼狽する。一等兵と二等兵はいち早くその声に反応し、深く腰を落としていつでも飛び出せる体勢を取った。何と、小サイズは今までの進行方向とは反対に向かって走り始めたのだ。反対方向、即ち我らが守るべき補給基地の方角だ。
 そこからが最悪だった。
「まずい、見つかった!」
 目の前の班長の背中が強張っていた。その時の戦慄はどのように表現したらいいものだろうか。小サイズは、光認識器官と思われる頭部に備えた赤い二つのガラス玉――我々の目に相当する器官だろう――をこちらに一直線に向けていた。光るガラス玉に射すくめられながらも、自分はうわ言のような言葉を漏らし続けていた。記録せねばならないという使命感と恐怖により、いつになく饒舌になっていた。
「総員退避!」
 班長の号令がかかる。それとほぼ同時だった。そいつは恐ろしく素早い動きで我々の直前にまで詰め寄り、ぞんざいな手つきで班長の身体を鷲掴みにした! 宙へとさらわれた班長の混乱による悲鳴が、残された三人の耳をつんざく。
「くそっ、班長を持って行かれた!」
 一等兵があらん限りの悪態を吐く。班長は完全に敵の手中に落ちた。この状況で班長の代理を務めるのは自分しかいない。現状に眩暈し、哀しんでいる場合ではない。非常事態に嘆くことしかしないのは素人だ。我々はプロだ。自分は奥歯を噛み締め、震え上がる自分自身を叱咤した。遠ざかっていく小サイズの背。その手の中の班長も遠ざかっていく。早く行動しなければ見失ってしまう。
「二等兵、お前は基地に帰れ。報告の上、援軍を要請しろ」
 冷静を装うつもりで極力声を押さえる。
「副長と先輩は!?」
 二等兵は一等兵を先輩と呼んで大層懐いていた。この二人は同じ訓練校出身で歳も近い。その一等兵も自分同様、低い声で呟くように言った。
「我々はここに残る。班長を見捨てられん」
「ならば自分も残るであります!」
 すっかり縮み上がっていた二等兵は裏返った声で抗議した。涙が溜まった目に震える膝で、こいつは何ができると言いたいのか。
「班長はみそかっすだった自分を拾い、この班に入れてくださいました。自分にとっては大の恩人であります! 班長のためならこの身がどうなろうと惜しくありません!」
「馬鹿野郎!」
 砕けるような鈍い音。一等兵が二等兵の頬を殴りつけたのだ。
「弱っちい貴様が残っていても足手まといで役に立たん! そんなこともわからんのか!」
「まあ待て、一等兵」自分は、再び振り上げられた彼の拳を押さえて諌めた。「二等兵、一等兵の言い分は間違っていない。たしかに貴様は弱い。だが、その弱さゆえの足の早さだけは自分も一目置いている。その貴様にいち早く基地へ帰ってもらいたい。そして基地への報告は義務だ。わかるな」
 殴られた頬を押さえて地にうずくまっていた二等兵が自分を見上げた。その目にいまだ涙はあったが、迷いはもうなかった。自分が差し出した手を取り、すっくと立ち上がる。
「副長の仰る通りです。わかりました。基地へ帰還します」
 そして足を揃え、背筋を伸ばして敬礼する。
「副長、先輩、ご武運を――生きてください」
 震える声に返す言葉もなく、自分と一等兵はただ敬礼だけを返した。二等兵はすぐさま踵を返し、一目散に基地のほうへと走って行く。その背を見送りながら一等兵はぽつりと呟いた。
「……お前は生きろ」
「さて、格好つけた分、覚悟はできているだろうな」
 自分は一等兵の肩に手を置く。視線は、班長をさらった小サイズから離さない。一等兵が力強くうなずく。我々二人は手に武器を携え、号令もなくほぼ同時に鉄砲玉の如く草むらから飛び出した。
 祈るように手を胸に当て、遥か遠い空の下にいる幼馴染に謝罪した。録音機は淡々と自分の言葉を箱に収めていく。
 ――帰れなくてごめん。いい人見つけて幸せになれよ。

 そして我々の前に最大にして最強の敵が立ちはだかる。
 それは、桃色の――


「おじちゃーん、草みっけたよー。これ食べられる?」
「こいつは歩行雑草だな。固すぎて煮ても焼いても食えん」



『○月×日

 おなかすいた
 くさむしった
 おじちゃんにみせた
 くえないくさだった』

(メイファの日記より抜粋)

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