4日目

 まずはしっかりと目を閉じます。頭の中に魔法陣を思い描きます。ふわりと意識と身体が溶け、次に目を開いた時、そこに青い空はありませんでした。
 遺跡の中にはすでにたくさんの人間がいました。みんな招待状を受け取った冒険者です。古い遺跡内にこれだけ人がいることが珍しく、メイファは転送してきた魔法陣の上で辺りを見回していました。ところが突然、後ろから小突かれてしまいました。メイファはとても小柄です。大人の人に突つかれると力負けして転んでしまいます。案の定、前のめりに倒れそうになったメイファを珊瑚の長い腕が抱き止めました。その横を見知らぬ人たちが通って行きました。剣や斧といった物騒な武器を持っています。喋りながら遠ざかっていく一団を、メイファは驚いた顔のまま眺めていました。
 魔法陣はこの遺跡の入り口のひとつでした。イメージを頭の中で描くだけで、どこにいてもここに移動できるという不思議な魔法がかけられています。今、多くの招待客はここから遺跡の中に入ってきていました。
「いつまでもそこに立っていると皆の邪魔になる」
 そっけない珊瑚にお礼を言いました。メイファはちゃんと挨拶ができる子です。それを見ていたえりざべすが「おバカね。本当におバカね!」といつもの笑い声を響かせました。そう、遺跡の中は石壁と石天井に囲まれていました。かなり広い地下空間です。ちょっと大声を出せばどこまでも鳴り響きます。かといって真っ暗というわけでもなく、ところどころ天井が崩れて外が覗いて見えるようでした。はるか向こうでは、青い葉をつけた木が悠々と伸びているのが見えます。
「ここをぼうけんするの?」
「そうだ。他の招待客よりも先に七つの宝玉を見つけるんだ」
 七つの宝玉。宝玉とは宝石のことです。メイファも宝石のことは知っています。きらきらと光るきれいな石のことです。そして、宝石とは様々な色と形をしていることも知っています。ここで探さなければならない宝玉はどんなものなのでしょう。珊瑚に聞いてみましたが、言い出した本人も肩をすくめるばかりです。誰もまだその正体を知らないのです。とりあえずメイファは、星の模様が入ったオレンジの水晶玉と勝手に思っておくことにしました。
「ほーぎょくさん。ほーぎょくさん」
 また辺りをきょろきょろと見ているメイファの頭を、ピンク色の手がはたきました。
「貴女は本当におバカねぇ。そんな簡単に見つかったらここを探索する意味ないでしょ」
 えりざべすには人を罵倒して叩く癖がありました。もしかするとメイファが相手の時だけかもしれませんが、とにかくよく叩きました。もう何度叩かれたかわかりません。これ以上叩かれたら本当にバカになっちゃう、とメイファは小さな手を頭のてっぺんに載せてガードしました。しかし、覚悟していた衝撃は訪れませんでした。
「残念ながら今は貴女と遊んでいる場合ではないみたいですわね」
 えりざべすは小さな目をメイファから離しました。巨大なぬいぐるみの後ろにいた少年の手にはいつの間にか鉄パイプが握られています。珊瑚も腰に下げた鞭を取り、地面に叩きつけました。ぴしりというヒステリックな音にメイファはすくみ上がります。
 彼らの前には明らかに人間ではない一団がいました。黒猫がにゃーと鳴いて三人と一体の前を横切りました。尖った尾を持つ小悪魔、手足が生えた石の壁、向こうのほうでは草が歩いているのが見えます。友好とは程遠い、毛を逆立てるような殺気にメイファはまたも首をすくめます。
「この遺跡に巣食っている奴らなのだろう。家に無断で入られたら怒るのも当然だな」
 珊瑚はまったく驚くこともなく、落ち着き払っています。それなりに場数を踏んでいるのでしょう。
「どういう状況かはわかっているな。まずは前哨戦といこうか」
「あの、おじちゃん」
 メイファが珊瑚のコートの裾を引きました。
「メイ、武器持ってないの」
「は?」
「あのね、ぱーてぃーって聞いたから、そんなの持ってたらめいわくかなって思って持ってこなかったの」
 珊瑚とえりざべすの後ろの人が同時に溜息を吐きました。えりざべすの手がメイファの頭をはたきました。
 メイファは珊瑚に手紙を読んでもらったと言っていました。珊瑚本人はそのこと覚えていなかったものの、読んでもらったならばこれがどういう類の招待状なのか理解できたはずです。大抵の者は理解できるはずです。なのにメイファはさっぱり理解していなかったのです。
「私は予備の武器は持ってないし、君は」
 珊瑚はえりざべすに目をやりました。後ろの人は、これしかないよと言わんばかりに鉄パイプを振り回しています。泣く子も黙る鬼の人は再び大きな溜息をつきました。
「やむをえまい。後ろで見ていなさい」
「ごめんなさいなの」
 しょんぼりしてメイファは少し離れた岩の上に腰掛けました。手持ち無沙汰に足をぶらつかせながら二人の様子を眺めていました。心得があるらしい珊瑚と、見るからにでたらめな強さを誇るえりざべすの後ろの人はなかなかいいコンビでした。珊瑚が鞭で体勢を崩したところにえりざべすの後ろの人が鉄パイプを叩き込みます。大抵の敵はそれで起き上がれなくなっていました。
 ところがメイファはどうでしょう。ただ遠くから見学しているだけです。役立たずもいいところです。どうして武器を持ってこなかったんだろうとメイファは後悔しました。パーティーという言葉に浮かれすぎたのです。愛用の鉄扇はアルバイトをしていた茶屋に置いてきてしまいました。今から取りに行っても間に合いっこありません。
「そこのうさぎの人、どうしたんだにゃあ?」
 膝を抱えて座るメイファの背中をぽふっと柔らかい物が叩きました。何だろうと振り返ると、そこには口チャックをした白い猫のぬいぐるみのような物がいました。メイファに向かって手を振っています。
「ねこさん?」
「ねこさんじゃありませんよ。ミルキーですよ」
 そしてもう一人、これまた犬だか猫だかのような耳を生やした少年が立っていました。柔らかそうな髪にまだ少し幼さの残る顔立ちの、笑顔がまぶしいお兄さんです。
「こんにちは、かわいいうさぎのお嬢さん。一人でどうしました?」
 メイファはたまらず名前も知らないお兄さんに抱きついてしまいました。抱きついて、半べそをかきながら戦っている二人を指差して、言葉にならないような言葉で一通り胸の内をぶちまけました。
「うんうん、それは辛かったですね」
 お兄さんは優しくメイファの白い髪を撫でてくれました。その顔はなぜかすっかり緩んでいましたが、涙目のメイファには見えるはずもありません。
「でもね、君は一つ勘違いしています。武器なんてなくってもボクたちは戦えるんですよ」
 そう諭しながら、顔を引き締めたお兄さんはメイファの手の中に小さな赤い石を入れました。血のように真っ赤な宝石です。核となっているものでもあるのか、真ん中がほんの少しだけ濁っています。
「心の力は大切です。信じれば何でもできるようになります。ボクだってほら、信じていたからこんなにかわいいぬいぐるみと一緒にいられるんですよー!」
 お兄さんはいきなりテンションがあがり、どこからともなくぬいぐるみを出してきました。しかも一つや二つではありません。後から後から、無数に出現してきます。溢れるぬいぐるみに埋もれてお兄さんは転がり回っています。周囲を無視して自分の世界に浸るお兄さんに代わり、ミルキーと呼ばれた猫のぬいぐるみがメイファの肩を叩きました。
「というわけで、とりあえずあの二人を手伝いたいと強く思えばいいのにゃあ」
「おもうだけでいいの?」
 猫のぬいぐるみがこっくりうなずきます。メイファは言われた通りにやってみることにしました。赤い宝石を両手で包み、目を閉じて額に押し当てます。そしてひたすらに念じます。
 ――おじちゃんたちを助けたいおじちゃんたちを助けたいおじちゃんたちを助けたいおじちゃんたちを助けたい今夜のごはんはからあげがいいなおじちゃんたちを助けたいおじちゃんたちを――
 手の中がだんだんと熱くなってきました。しかし嫌な熱さではありません。焼肉中の鉄板くらいの熱さにはなっていましたが、不思議と手は焼けていませんでした。目蓋の裏をちらちらとうろついていた光が一点に集約しました。その瞬間、メイファは閉じていた目を開き、両手を広げました。すると、なんということでしょう。赤い宝石から一条の光が飛び出し、えりざべすの頭上すれすれを通って、彼女(?)に飛びかかっていた小悪魔に命中しました。光に目を潰された小悪魔は短い悲鳴を上げて地に落ち、そこにすかさず鉄パイプが追い討ちをかけます。
 目の前で起きたことに驚くメイファの肩を、また柔らかい手が叩きました。
「それが魔法だにゃあ。うさぎの人には魔術の才能が眠っていたようだにゃあ」
「まほう? メイ、まほうつかいさんなの?」
 ぬいぐるみは腕を組んでまたこっくりうなずきます。遠くから聞こえてきた「レスー、ミルキー、どこにいるんだー!」という声に顔を上げると、
「探されてるみたいだにゃあ。ミルキーはもう行かないと行けないのにゃあ。その力をどう磨くかはその人次第なのにゃあ。がんばるにゃあ」
 そう言い残し、猫のぬいぐるみはお兄さんの足を引きずってどこかへと立ち去って行きました。お兄さんはぬいぐるみの中に埋もれて恍惚とした顔をしていました。
「メイがまほうつかいさん」
 手の中の宝石にはまだ熱が残っています。同じ熱は胸の中にじーんと広がっていました。えへへと笑ってメイファは宝石を胸の前で握り締めました。その足元に急に影が落ち、何だろうと顔を上げました。
「よくも乙女の柔肌を傷付けてくれましたわね。慰謝料を要求しますわ!」
 そこに、耳と耳の間の頭布を焦げつかせたえりざべすが仁王のごとく立ち塞がっていました。ああ、どこからか流れてくる暗黒卿のテーマ曲。ほんのりとデジャヴを感じた気がします。
「あ、えっと、その、ますますかっこよくなったね! きっとおふらんすでりゅーこーしてるもーど系ってやつなのよ!」
 冷や汗浮かべつつ笑顔を見せるメイファを、
「逆転サヨナラホームラン!」
 再び襲った一陣の風。バットのごとくフルスイングで振り切った鉄パイプ。小柄な身体がきりもみ回転しながら飛んでいきます。「ハムの人優勝おめでとうなのよー」という意味不明のズレた叫びが遺跡の中を駆け抜けていきました。


「おい、小さいうさぎどこ行った?」
「さあ? べすに訊かれても困りますわ」



『○がつ×にち

 ねこさんいた
 いしくれた
 びーむでた
 おこられた 』

(メイファの日記より抜粋)

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