3日目

「うさぎさんこんにちはですよ」
 声が空から降ってきた。露店の前にしゃがみこんでいたメイファは首を伸ばして真上を仰いだ。青空を背景に、ゆるくカーブを描く白耳の間に顔が見える。綺麗な銀髪を腰まで垂らし、前髪を真一文字に切りそろえた少女がメイファに向かって微笑んでいた。メイファもつられてにっこり微笑む。
「こんにちはなのよー。んっと、おねえちゃん、だれ?」
 少女は不思議な格好をしている。薄い布をたっぷり使い、これでもかとばかりに装飾を施した真っ黒なドレスだ。この島を訪れた者はどこかしら物々しい服装をしている。これから遺跡に潜って探索するのだから当然なのだが、この少女はそれらの人間とは違っていた。いわゆる冒険者には見えなかった。どう見ても、これからパーティーですと言わんばかりだ。
「私は伽羅っていうのです。うさぎさんは?」
「メイファだよー。メイって呼んでね」
「うさぎさんは何を見てたの?」
 伽羅はメイファがしゃがみこんでいた先を覗き込む。メイって言ったのになーと思いつつも、メイファは「これもらっていこうかどうかかんがえていたの」と露店に並べられた品を指差した。露天商が広げた麻布の上には草が敷き詰められている。その手前に一束いくらと書かれた値札が立っていた。
「これって売り物なのです?」
 不審の色をあらわにする伽羅を、愛想のない店主が視線で刺す。しかしそんな視線をものともせず、少女はメイファの背後から手を伸ばして一束取る。深緑の力強い葉っぱだ。言い換えれば煮ても焼いても硬そうな雑草だ。こんな物で金を取ろうという神経が理解できない。
「これ食べられるんだって。おなかすいたからもらおうかなーって。ホントはおにくがいいんだけど、メイ、あんまりお金もってないからこれでがまんするの」
「うさぎさん……」
 それまでにこやかだった表情が一転、紅玉のような瞳がこぼれおちそうなほどに潤む。小さく握った両拳を口元にあて、力なく首を左右に振る。
「そんな、そんな草なんて食べなくてもいいのです。私がお菓子あげますですよ!」
「お菓子!」
 それまでうなだれていたメイファの耳がひょっこり起き上がり、盛んに前後に動き出す。それを伽羅と店主がなんとも言えない生温かい表情で見ていたことに、本人は気づかない。
 伽羅はどこからともなく小さな包みを取り出した。女の子らしい花柄の包装に、ピンクのリボンをあしらってある。メイファの手に載せると、
「どうぞ召し上がれ」
「いいの? ホントにいいの?」
 伽羅とはまた色合いの異なる赤い瞳が輝く。包みを上から下から真横から、せわしなく眺めてからそっとリボンに手をかけた。真剣な目で見つめ、一呼吸置いて一気に引く。しゅるりと解けたリボンの下から真っ赤な果実が顔を覗かせる。
「おおお! ケーキだ、ケーキ!」
 淡雪のようなクリームに瑞々しいイチゴ。控えめに散らされた銀色のアラザンがケーキのかわいらしさを引き立たせる。
「おねえちゃんありがとう!」
 上気した頬に満面の笑顔を添えてメイファは伽羅にお礼を言った。本当は言葉じゃ言い表せないくらい、胸がいっぱいになっていた。
 そして、ここが露店の前であることも忘れていた。
 冷やかしはごめんだと店主に追い払われ、メイファと伽羅は移動した。近くの丸太に腰掛けてようやく落ち着くと、メイファは口いっぱいにケーキを頬張る。ここに来る前はアルバイト先の茶屋で和菓子三昧だった。みたらし団子も嫌いではないが、毎日続けば飽きるというもの。ひさしぶりの洋菓子にメイファはすっかり夢中になり、我も忘れてケーキをむさぼる。そんな勢いだからあっという間になくなった。
「おいしかったー。おねえちゃんありがとう」
 親切なことをされたらきちんとお礼を言う。挨拶は大事なことだと教え込まれていた。だからメイファはきちんと挨拶するし、忘れずに礼も言う。もっとも、メイファ本人は誰に教えられたのか覚えていない。
 不意にメイファの身体が浮いた。座っている伽羅の脳天が見える。真上から見て初めて気付いたが、伽羅の背中に羽がある。黒い服とその小ささでなかなか判別がつきにくいが、コウモリの羽のようだ。
「ほらほらいつまでも道草食ってないでいきますわよ」
 声は更に高いところからしている。まっピンクのウサギがメイファの襟首を掴み、持ち上げたのだ。指がない手でどうやって持ち上げたのだろうと思ったが、それは詮索してはいけないことなのかもしれない。
「貴女、何も知らずにここに来てしまったそうね。そこの下僕一号から聞きましたわ」
 下僕一号? と半ば絶句したようなうめきが間近から聞こえた。顔を右に向けるとそこには緑色のコートの男がいた。吊り上げられているせいで、いつもより顔が近い。
「おじちゃん!」
 おじちゃんって、とまたうめき声。甥っ子たちならばともかく、昨日今日に出会った少女からおじちゃん呼ばわりは抵抗があるようだ。
「ひとりでは不安なのでしょう。そうなのでしょう? うさぎはひとりだと寂しくて死んでしまいますからねおほほほほ」
 お前だってウサギじゃないか。下僕一号ことコートの男がつっこむが、巨大なウサギは意に介さないようで、テンション高く言葉を続ける。
「そうね、べすの下僕二号にしてあげてもよくってよ」
 おほほ、と甲高いマダム笑いが響く。メイファはもがいて手足をジタバタさせるが、吊り上げられたままなのでどうにもならない。何よりこの巨大ピンクウサギ、力が強いのだ。
「下僕二号とべすでうさぎユニットとしてアイドルでびゅーいたしましょう。主にこのべすのキュートな魅力で全世界の殿方をメロメロにしてさしあげるのよ!」
「やる! メイ、アイドルやるよー。ゆめを売るの!」
 巨大ウサギは早口で何を言っているのかわからない。けれど、アイドルという四文字がメイファの胸に深く深く突き刺さる。
「そしたらおじちゃんはまねーじゃーさんだねっ。んっと、そうなるとうしろのおにーちゃんは……」
 メイファが宙をかきつつ巨大ウサギの背後を覗き見ようとした。
「後ろの人などいない!」
 ミッキーロークばりの鮮やかな猫なでパンチが炸裂する。なぜか宙を飛んでいくメイファの「アイドルなのよー」という声がいついつまでも尾を引いていた。



『○月×日

 こおもりのひとにあった
 けーきもらつた
 そらとんだ
 かっこいいのとあいどるする』

(メイファの日記より抜粋)

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