endless
夜が怖い。
そう言ったら君は笑った。
「梶原君って子供みたいね」
そうだよ、僕は子供だよ。身体が大きくなろうとも、精神が発達しようとも、根本的なところは何も変わっていない。僕は僕だ。
幼い頃から僕は変わらない。そう信じることが馬鹿げたことであろうとも、僕はずっとそう思っている。君が想像しているよりも遥かに子供なんだ。暗く、寂しい夜がくるのをいつも脅えている。孤独で泣き叫びたくなる。静かな静かな夜が僕は怖い、静寂に飲みこまれる。暗黒に飲みこまれる。
「独りは寂しいわ。でも、人間はその寂しさに耐えることも大切なの」
大好きなジャックダニエルを舐めながら君は言う。緩やかな音楽が流れる君の部屋。窓から入る夜風にジャスミンの葉がさわさわと揺れる。夜の圧迫感に耐え切れずに押しかけた僕を優しく迎えてくれた。すっきりと片付いた部屋はほのかに君の香りがする。控えめな甘さの香水の香り。君がそばにいる。たしかな存在を感じる。
クッションを抱える僕の前には君のと同じ、琥珀色の液体が入ったグラス。中身は全く減っていない。今はアルコールに頼りたい気分なんかじゃない。この気持ち、わかるだろう? そんなもので自分をごまかすのは嫌だ。それで恐怖が去るのなら苦労しない。君のところに来たりはしない。ねぇ?
風がカーテンを揺らす。白いレースの向こうには深遠なる闇。全てを飲みこむ黒い空。高みを覆い隠す黒い空。時折飛行機の明かりが小さく見える。鉄の塊が飛んでいる。会社のロゴが入った白い機体。でも、そんなものは見えない。今は夜だから。誰もが光を失う夜だから。
木目調の広いテーブルの上には作りかけのジグソーパズル。誰の作かは知らないけれど、明るいネオンの街の絵だ。
「いい絵でしょう?」
箱の絵を見せて君は言ったね。だけど僕に言わせればそんな街は存在しない。どれほど夜が明るくても、闇は存在する。どこかしらに夜の暗さが潜んでいる。君はそんな大切なことを忘れている。光があれば影は必ず存在する。これは真理だ。
細長い指がピースを拾い、しばらく停止した後に所定の場所に嵌め込む。そんな単純作業の繰り返しで絵が出来ていく。君は悩むということを殆どしない。僕はそんな君がとても不思議だ。どうしてそこまで正確なピースを拾い上げることができるんだ?
「昔、牛乳パズルってあったじゃない。覚えてる?」
覚えている。正方形で、ただ真っ白なだけのジグソーパズルのことだろう? 絵がないだけにかなり難易度が高いと聞いたことがある。僕の従姉がそれをやっていた。勉強するよりも真剣になってパズルをにらんでいた。たしか、ピースは牛乳パックに入っていたんだよね。
「その牛乳パズルでも私は悩むことがなかった」
へえ、すごいね。本当にすごいや。
「手がね、勝手に動くの。見ただけで、そのピースはどこに当て嵌るのか判断して入れていくの。殆ど無意識に動いてる」
言いながらも君の手は動いている。左手でジャックダニエルを舐め、右手でパズルをつくる。
「放って置けばいつまでもやっている」
完成しても?
「そう。出来たら壊してまた始める。それが続くのよ。エンドレスに」
エンドレス。
口に出して言ってみる。エンドレス。終わりのない、永久機関。回り続ける星。陸に上がりたいと絶えず押し寄せる波。常に何かを捜し求めている鋼鉄の人形。僕が思い浮かべたイメージはそんなものばかりだ。終わりはあるのにないと錯覚してしまうもの。君のそのジグソーパズルにも終わりはある。はじまりがあるから終わりがある。これは常識だよね。僕らの時にも勿論終焉が待っているはずだ。誰にも見通せないけど、待っている。時は無限じゃない。宇宙と同じ、有限だ。
でもね、僕は時を有効に目一杯使うよりも浪費しているほうが好きなんだ。無駄とも思える時間を過ごしているほうが遥かにいい。
「あなたの部屋が落ち着かないのは何もないから」
以前、君はそう言ったね。そうだよ。僕の部屋には何もないよ。鏡とベッドしかない。真っ白なベッドとフレームのない鏡。僕はそこで毎日寝起きしている。毎日を生活している。不思議? そんな部屋で生活している僕が?
「だって、何にもないところで生活できるとは思わない」
それでも実際生活しているんだからしょうがないよ。僕は苦笑して答えた。ほら、僕は生きている。それが何よりもの証拠だろう。君が信じられなくても、現実が証明している。
生活する分には何も困らない。これだけ無駄を省いても大丈夫なんだ。・・・いや、むしろ空間を無駄にしているのかな。ほら、僕は浪費家だから。時間も空間も無駄に費やして生活している。
しかし、問題がないわけでもない。何かと言うと、夜の侵入が早いんだ。僕の周りをすっかり満たしてしまうんだ。眠っている僕のベッドの周囲を・・・
僕は毎日それに脅えて床に就く。じわじわと這い寄ってくる暗い影に背を向けて、見ないように、意識しないように努力する。でも、それは逆に意識していることになるんだよね。どうしても頭の片隅に夜のことが残っている。そして僕はますます眠れなくなる。
そんな独りの夜がいやだ。ずっとこうして、一緒にいられたらいいのに。
夜も終わりも必ずくるものだということくらいはわかっている。幻想を抱いていたいだけなんだ。この世は、今は永遠だと。
君がジグソーパズルをつくっているその様をずっと、ずっと眺めていられたらいいのに。二人で、退屈で意味のない話を終わりなく続けられたらいいのに。だめかな? 僕の望みはささやかなのに、手に入りにくいんだよね。ないものねだりなのかもしれない。
それでもいいよ。夢は夜にだけ見るものじゃない。望めばいつでも見ることができる。こうして君といるのも夢なのかもしれないね。